童謡作家野口雨情の朝鮮京城での写真発見…これでタイで収拾できる資料はほぼ完了… | 流じゅーざの『日韓・朝韓』

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バンコク在住のじゅーざです。

 

今日、当面最後の大きいロットの本が到着。残りは1種類だけ。

 

今回到着した本の概要は以下の通り。

 

金の星社編『みんなで書いた野口雨情伝』(金の星社)1982年再版
  1924年4月の朝鮮訪問時に、藤井清水・権藤円立、吉田正美氏が同行したとの事。(写真有り)
  権藤円立は芸術民謡歌手で、楽浪園同人の一人。野口雨情(作詞家)・藤井清水(作曲家)と共に新民謡三羽烏として活動を行ったそうです。

 

大竹聖美著『植民地朝鮮と児童文化』(社会評論社)2008年によれば、この野口雨情の朝鮮訪問は1924年4月16日~5月5日。これは雑誌金の船による童謡演奏会が目的で、この5月に野口は李徳恵(徳恵翁主)に拝謁して「雨」と恐らく「蜂」の歌詞をいただいたとのこと。そのうち「雨」の歌詞が『金の船』7巻5号(1925年5月)で紹介されました。

 

野口雨情の出生地である北茨木市(旧磯原)の役所に野口の訪朝の資料について問い合わせてみましたが、そちらには特にないそうで、冒頭の写真は貴重なものになります。

 

この野口雨情の演奏旅行についての研究はないので日本帰国時に「京城日報」などで確認する予定です。

 

吉川英史著『この人なり 宮城道雄伝』新潮社(1962年)
  関東大震災後に宮城が朝鮮に戻った際に、李徳恵(徳恵翁主)の「雨」と「蜂」に作曲をしたこと。
  1935年1月29日、台湾からの帰途に福岡で行った大日本家庭音楽会主催演奏会の最後に「特別演奏」として「雨」と「蜂」の演奏を行ったこと。(歌:牧瀬和江、箏:宮城道雄)
  宮城がビクター専属としてレコードを多数収録したこと。(「雨」「蜂」も)

 

金田一春彦著『童謡・唱歌の世界』(教育出版)1995年
  唱歌・童謡の歴史を俯瞰しており全体の把握に役立つ。藤井清水・佐々木すぐる(作曲家。『青い鳥』の主催)の情報がある。

 

松浦良代『本居長世 日本童話先駆者の生涯』(国書刊行会)2005年
  童謡の宮様澄宮(三笠宮崇仁親王殿下)とのエピソード。

 

長久保片雲著『野口雨情の生涯』1980年
  童謡の宮様澄宮(三笠宮崇仁親王殿下)とのエピソード。

 

河原和枝著『子ども観の近代 『赤い鳥』と『童心』の理想』(中公新書)1998年
  収穫無し

 

野口存彌編『野口雨情 郷愁の詩とわが生涯の真実』(日本図書センター)
  あまり参考にならず


朴燦鎬著『韓国歌謡史』(晶文社)1987年
  朝鮮人側から見た歌謡史のみ。

 

稲葉継雄著『旧韓国~朝鮮の「内地人」教育』(九州大学出版会)2005年
  日出小学校をはじめとする韓末から日韓合併期の日本人向け教育の研究所。日出小学校の分は別途論文として入手していたが、全体の俯瞰と日出小学校以外の学校についての研究も掲載。
 

さて、今度は日出小学校の話を少し書かなけりゃのう…

 

こんかい終わり

 

 

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