阪神大震災から今日でちょうど18年。


私が18歳の時に発生して、それまでの人生と同じだけの月日が経過しました。この出来事は私にとって身近すぎてあまり人に話すことは無いのですが、今日は少し振り返ってみたいと思います。


当時兵庫県に住んでいた私は大学受験に臨んでいました。その日は2日間に渡って行われたセンター試験の翌日。試験が終わった安堵感からか、家は震度5と言われていた地域にも関わらず、地震が発生しても目は覚めませんでした。そして普段通りに起きてテレビをつけるとあの惨状・・・。センター試験を受けた高校は半壊、通っていた塾のビルは傾き、馴染みのある三宮の駅前はいつもの賑わいから一転していました。そして倒壊した高速道路、燃え続ける町。。。あまりにも衝撃がありすぎてそれが一体何を意味するのか、当時の私にはピンときませんでした。ただ、大変なことが起こったな、ということだけ、、


そんな中で、私の大学受験にも少なからず影響がありました。大阪までの電車はストップし、いつもなら1時間もあれば大阪駅まで着くのが、バスを乗り継いで半日がかり。予定していた私立大学の受験は、移動の困難さを考慮して1校のみに絞りました。それでも朝に出発したのでは間に合わないため前泊。父親が「大阪市内に良いホテル取ったから!」と案内してくれたのはアムザ1000(カプセルホテル)だったのは今となっては良い思い出。(ちなみに不思議なことに試験は最高の出来でした^^;) 結果的に、その状況で大学受験を長引かせることも躊躇われ、センター試験のみの推薦入試で合格した大阪府立大学を選びました。もし震災が起こっていなければ、私の進路は変わっていたかもしれません。そしてあの時大阪府立大学に入学していなければ、きっと堺で大阪府議会議員として活動していることもなかったと思います。(この経緯はブログ記事「落下傘でも政治ができるか」 をご覧ください) 

そう考えると人生とは本当に不思議なものですね。


被災された方、震災によって影響を受けた方、ボランティアなど現地で助けていただいた方、様々な方々の想いを乗せて、あの阪神大震災から18年が経ちました。


お亡くなりになられた方々に心から哀悼の意を表します。皆さんが愛した神戸の街は震災で甚大な被害を受けました。しかしどん底の状況から皆が力を合わせ、今の神戸は以前にも劣らない素晴らしい街になりましたよ。

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