落下傘候補らっかさんこうほ):主に地方区制の国政選挙や都道府県知事選挙で、その土地に地縁、血縁の無い人間が立候補すること(wikipedia)

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今日は半分仕事で、西宮へ。


大阪府議会議員 永藤英機オフィシャルブログ


大阪府議という立場上、県外に招かれることはそれほどなく、軽い旅行気分で地図を眺めていたら、実は小学校1年まで住んでいた所が歩いて行ける距離で、旅行気分と言うより帰省気分というオチでした。(オチてない・・・?)


私は7歳まで兵庫県で育ち、小学校2年からは堺の泉北ニュータウン。5年生から高校までは再び兵庫県。大阪府立大学に進学してまた堺へ。この時は昔の堺のど真ん中、宿院というディープな(?)場所で4年間みっちりアルバイトをして、接客に厨房に出前にと、古き良き堺の空気を満喫。卒業してからは就職先の近くの大阪市内で11年間。父親がいわゆる転勤族ということもあって、私の好き嫌いに関わらず色々な場所で暮らしてきました。


2008年に大阪府議を目指し始めた時も大阪市内に住んでいたのですが、政治家としてどこを拠点にして活動をしたいかと考えた時に、一番思い入れがあり骨を埋める覚悟があるとしたら堺しかないと考えて三たび戻ってきました。


前置きはこれくらいにして、本題に入ります。


「落下傘に政治ができるか

※「落下傘」という言葉は最初に載せた定義に加えて、「地方議員であっても生まれ育った所と違う土地から立候補すること、という意味でも使われると思います


結論から言うと、私は「できる」と考えます。


私は立候補までに堺で9年間過ごしていたのですが、中には厳しい方もいて、応援してくれていた(はずの)人から当選後に「堺生まれでもない奴に堺市民の民意が分かるわけがない」と言われた時はショックを受けました。でもそれがずっと地元で暮らしている方の本心かもしれませんね。


しかしどこで生まれるかは自分では決められませんから、もし生まれ育ったところでしか政治が出来ないとしたら、私みたいに小学校だけで3回変わり、各地を転々としてきた人間は政治の世界に挑戦できないことになります。


それでも私は、堺が大好きだし、一生この地で暮らすつもりです。自分が住み続ける街だから、尚更よくしたい。


地域を変えるのは「よそ者、若者、ばか者」という言葉があります。要は凝り固まった常識ではなく、新しい風が吹き込むことでより良く変わるのだ、という考え方です。


というわけで、これから落下傘となる候補者にも私は大いに期待したいのですが、
一つ条件があります。


それは、「その土地を本当に愛し、そこで一生を過ごす覚悟で取り組むこと」。この気持ちが無ければ地元の人々を振り回すだけの存在になってしまいます。 "近いうちに" 衆議院選挙があるものと思われます。落下傘候補は色々と大変なことが多いと思いますが、覚悟と信念を持って頑張っていただきたいと願います。


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