内観がもはや趣味レベルです。


改めて自身の気付きですが、人と知り合う中で、こうした方がいいよとアドバイスをいただけることがあります。


わたしから質問しているので相手は親切心から教えてくれるわけです。


なるほど、とは思うのですが、なぜかわたしはやり方を変えようとしません。


改めてものすごく頑固なんだと思います。聞いておいてその態度だから相手も恐らくそう思っている笑。


「夢をかなえる像」という本があります。


冒頭で、主人公はガネーシャが言う当たり前のアドバイスを受け入れようとしません。

それに対してガネーシャは、自分が今までこうだと思ってやってきて、その結果が今(なりたい自分になれていない状況)なのでしょう、と詰め寄ります。


はっきり覚えていないのですが、確かそんな感じでした。ま・さ・に、です。この時点で確信をついていると思います。


自分から聞いておきながらアドバイスを絶対的に聞き入れようとしない人は意外と多いです。わたしもしっかり当てはまるのでよく分かります。


大抵自分が偉いと思っている人ほど意固地に絶対受け入れません笑。

下に見ている人にとやかく言われたくないのです。変わりたくないと猛反発するエゴも恐らくあるのでしょう。


自分を守りたい一心なのですね。もちろん素直な人もいるでしょう。素直過ぎるとこれまた自分軸を疑うところでもありますが。



わたし自身、アドバイスという言い方はあまり好きではないです。


どうしても上下関係を感じてしまうからです。 


上の人が下の人にアドバイスする、という。例えば生徒が先生にアドバイスはしないし、部下が上司にアドバイスはしないわけです。でも先生が生徒から学ぶことは山ほどあるし、上司が部下から学ぶことも沢山あります。むしろそちらからの方が多いように思います。子供から親へ、もありますね。



お金を払って同じ立場でアドバイス、でなくコーチング、なら成立するような気はします。日本ではまだどうしても先生、生徒という考え方になってしまいそうで、こういった認識が薄れていけばいいなと思います。


ちなみにわたしが受け入れないのは、自分で探って気付いていきたいから、というのもあります。


これは遠回りではあると思います。


人の道はそれぞれ違うけれど、王道はある程度決まっているのだとしたら損しています。やはり頑固なんでしょう。(念の為、勿論絶対ではありません笑)

辰さんパステル2♪

 

 

直観。瞬時に思ったこと、察知した感覚、のようなものです。


これは根拠なく突然なので、受け取るのに無理があります。というか受け取ったとしてもその直後に打ち消されることが多いです。日常的に生きていると。普通に考えてあり得ないでしょ、という一般的な、普通の、のフィルターで判断してしまうためです。

例えばある人に対して嫌な感じがする。けどその直後、人を疑うなんていけない、という善良な常識的判断によって打ち消されます。そこには、自分はいい人でありたいという本音が隠されているのかもしれません。


大体あとから分かるんですけどね。やっぱりそうだったのか、と。そんなことの繰り返しです。繰り返しながら感覚を掴むしかないのだと思いますが、元々わたしたちに備わってた能力なので、誰でも適切な訓練をすれば磨かれていく(思い出していく)ように思います。訓練の前にやることもありますが。



もう一つ日常からの気付きとして。

違和感、を大事にしています。


これは直観と違ってじわじわと時間をかけてくる感じなので、わたしはこちらの方が感覚として分かりやすいです。

すぐにはこないけど、何か引っ掛かるというような感じです。その時は分からないです。その感覚だけは覚えていて、あとで点と点が繋がってはじめてそういうことか、と分かります。


そしてこれは年単位の長~い時もあります。まさに数年越しです。なので普段からそういうことを意識してみると面白いと思います。

なぜか理由は分からないけれど気になること、はやはり何かあるから気になる、のだと思います。
もしかすると前世の記憶とも繋がっているのかもしれません。


ヒプノセラピーでは前世療法も扱っています。


前世療法はその人にしか分からない記憶の欠片がイメージとして風景なり感情、として出てきます(個人差あります)。


何もないところからは出てこないわけで、その時意味がある潜在意識からの情報を受け取ることによって癒しが起こり、大事なのはそれが現実世界に反映されていくというところです。

人からはっきり答えをもらうのではなく、曖昧混沌としていても自分で答えを見つけていくこと。


意識に上がっていることで解決できないいから潜在意識(無意識)を探るのです。


その作業をひたすら続けていくこと。人が出した答えに振り回されるのではなく、いつでも答えは自分が持っていると信じて進むことが結局は一番近道なのでしょう。



 

前回の記事の補足のような感じです。
気付いたことを記します。

外側で満たそうとするのは、内側が枯渇して満たされていないから。

人からエネルギーを奪うということになる。無意識に。


妬んだり人の嫌なところばかり目についたり、自分はダメだと卑屈になったり。


これらは総体的にエネルギー不足。


だから外側を見て羨ましくて奪いたくなる。



目には見えないけれど、人は結局エネルギーで交流してるようなもんだと思う。

そして不思議なことに、これは物理的に会ってない時でも起こっていると思われる。


例えば突然ある人が浮かんだ。これはその人と無意識下で交流してるのだと思う。


そう考えるとやはり物理的な距離は関係ない気がしてくる。


わたしたちは物質的な世界を意識し過ぎてきたように思う。


時代の転換期に入り精神性が重視されるようになって、改めてこちらを意識してみると、世界が違って見えてくる。

この世界の違和感はそこからきているのだろうと。本質的にはそのことを知っているから。


目に見えない世界は普通にある。認識できないだけで。目に見えるものだけで生きるとはなんて狭い世界に生きてきたのだろうと。


外の世界より自分の内側の世界はなんて広いんだろうと思う。

なんか論点ズレていきました笑。


新月二日目の月がキレイでした♪

 

 

 

年始早々、日本中が大混乱の幕開けとなりましたね。


今年はどんな年になるのでしょうか。


時代は随分速足で急激に変わってきました。


今年は更新頻度を上げていきたいなと思います。


昨年は自分にとって数々の衝撃的な出来事がありました。きっちり最後の最後まで何かしら起こって、落ち込んでいたところに更にダメ出しを食らうという。一時は再起不能に陥っておりました笑。タロットカードでいうところのソードX。まさにこんな感じです。

 

 

まだまだ感情の扱いに慣れません。


三次元の価値観に絶対的違和感があるものの、かといって完全五次元の価値観に到達しているでもなく。いつも曖昧ニュートラルです笑。

落ち込んだ時はひたすら落ちます。


物事を全体的に捉えるなんて無理で、独りよがり、狭い視野になり思考まみれになります笑。


本を読んだりYouTubeを見出したら少し回復の兆しです。答えを求めて必死に上がろうとしている最中。


ある程度の波はあるものだと分かってはいても今回はかなり飲まれました。


起こった出来事に良い悪いはなく、それをどう捉えるか、解釈次第。それはしてるつもりでも、出来ない時ももちろんあります。

そんな時は休みましょうのサインでしょうかね。
いつでも平静を保っていられる精神力を身に付けたいなと思います。


常に自分の内側を信じるということ。これに尽きるのだと思います。

勿論、抜けた後は気付きが沢山あるわけで、こういうことの繰り返しなんでしょう。


むしろそれらを気付くために起こった一連の出来事、と今なら分かるのですが、やはり最中はしんどいですね。

 

 

2024年 甲辰年

辰さん描きました♪
今年もよろしくお願いします

日常を観察していると、認められたい人が多いことに気付く。


わたしもかつてそうでした。なかなか抜けきれないものですが。
誰かに承認してもらわないとどこか頼りない。こんな自分でいいのだろうか。


認めて認めて。欠乏感を感じるから外から補おうとする。
認められても落ち着くのは一瞬だけ。なんか違う。また求める。


そうして得ることばかりに必死になる。
欠乏感は内側で感じてるのだから、外側にはない。
外側を探しても見つからない。


自分の人生なのに、航海に例えるのなら、舵すら握ってない人もたくさんいる。
 

 

殆ど家の写真なんですが笑、ずーっと西の方、小さーく飛んでいく火球です♪
ゆっくりゆっくり落ちていくのが見えました。