【欅坂46】そらいろが魅せられし魔曲達・前編~不協和音と手遅れCaution~【イコラブ】 | 坂道の先にあったのは沼〜そらいろの推し事独白論〜

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漢字ちゃん(欅坂46)の“不協和音”とイコラブちゃんの“手遅れCaution”、発表されてから既に時間が大分立ってしまった二曲(“和音”は4年、“手遅れ”は3年)、今更なのですがその二曲はその出会いの仕方や詞の世界観、そしてそれをパフォーマンスする姿、ファンの複雑な思い等未だに色々な意味で魅了し続けてくれる曲です。

そんな思いもあっていずれ書きたいなと思っていたテーマだったんですが、最近ふとイライラした時に車の中で聞いた“手遅れCation”がすっと体の中に入り込んで来て繰り返し聞いた事がきっかけになって取り上げる事に相成りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そらいろです

 

こんにちわ♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〝魔曲〟

 

曰く付きの曲を指すこの言葉、実際検索サイトで探すと本来の意味より高校野球でビックイニングを作る曲みたいな項目が沢山出てくるんですよね。

 

智辯和歌山が8回にこの曲をやり始めると、試合をひっくり返す事から魔曲と言われているようですね。

 

今回取り上げようとする所謂〝魔曲〟というニュアンスとは少し違う所で、そらいろが考える魔曲というとこちらでしょうか...。

 

 

戦前に発表されたフランスのダミアという歌手が歌ったシャンソン“暗い日曜日”...この曲を聴いた人が相次いで自殺するという事で、当時のヨーロッパ各国で放送禁止となった曰く付きの曲です。

 

その部分はさておき、表題に掲げた二曲をもって魔曲と定義する事に関しては人それぞれで意見が分かれるところだと思います。

 

そらいろ自身夫々のグループでのその後の方向性を変えた事や、その曲に惹かれてしまう事を含めて何らかのざわつく様な気持ちを抱いてしまうという部分から、この二曲は〝魔曲〟として受け止めています。

ただ、それは否定的に捉えているのではなく、寧ろ自分に何らかの影響を与え、両グループに対するエポック的な作品であるとかなり肯定的...無くてはならない曲だと思っています。

 

しかしながら特に“手遅れCation”についてはやはり魔曲と定義する部分に違和感を感じる方も多いでしょう。

しかし、メインのパートを張る衣織さんの憑依型パフォーマンス、そしてオーディエンスもこの曲に引きずられるように振り付きで応じる一種宗教儀式の様な様相を呈している部分(そもそも“手遅れ”は合いの手部分以外でのコールが無いと言うところも影響しているのでしょう)...会場全体が導かれる様に何らかのカタルシスを得るという部分では魔曲と言って差し支えないでしょう。

 

では何故この二曲を魔曲と定義するか、それはこの二曲がグループ内のバランスに微妙に影響を与えその後のグループ活動に少なからず影響を与えたという所が挙げられると思います。

 

 

“不協和音”は、それまでの外向きのメッセージ性から内に向けた攻撃性へと歌詞の内容が変わった事、パフォーマンスに関しても流れるような曲線的なものから直線的なものへと変化しました。

グループの指向もアイドル性からアーティスティックな方向へと走り、当然微妙な空気を生んだことは確かなことだと思います(その象徴的な事が主力メンバーの1人、アイドル指向の高かったずみちゃん(今泉佑唯)の休養)。

結局、この時に崩れ始めたバランスは活動休止まで終始つきまとう様になったと思います。

 

 

そして、この曲からパフォーマンスの沼にはまり込んだてっちゃん(平手友梨奈)、その年の欅共和国辺りまではそれでも余力をもった形でパフォーマンス出来ていましたが、そこでモチベーションの糸が切れたのか夏を境に体調不良を多発することになります。

そしてその年の紅白歌合戦において、完全に肉体的にも崩壊してしまいました。

後に判明していますがこの時には既にグループから離脱する事を考えており、そのラストとしてあの時のパフォーマンスがありました。

 

 

勿論、流石にその時に卒業、もしくは脱退と言う事を受け入れられない運営さんによってこの後はグループへの合流と一時離脱を繰り返すことになりました。

そして完全にグループを脱退することを考えていた1年後の東京ドーム公演で紅白以来の再演、脱退直前の紅白で2年ぶりの出演(前年は怪我のため出演しなかった)と最後の“不協和音”のパフォーマンスを行いました。

恐らく、彼女が“不協和音”をパフォーマンスする時にリミッターが外れてしまうため、運営さんとしてはやらせたく無かったんでしょうね。

 

 

その“不協和音”に変わって“ガラスを割れ”がパフォーマンスにのめり込める曲になったものの同じ様に舞台落ちのアクシデントを起こしてしまった為、封印されてしまった事も脱退に繋がっていく一つの要因になったかもしれません。

 

一方の“手遅れCaution”、それまでの王道アイドル曲と打って変わってのダークサイド的な世界観、そして背徳の愛情を歌う詩の世界を持つ曲で非常に表現力が問われる曲でした。

 

 

恐らくより王道アイドル曲の指向性を持っていたメンバーにとっては非常に荷が重かったのでは無いかと思います。

何しろ、そらいろが沼落ちした2019年の空きぐらいに見ていたSHOWROOMで杏ちゃん(山本杏奈)が、〝やっと最近になって表現を考えてパフォーマンス出来る様になった、今迄どう表現したらよいかわからなかった〟と発言しています。

リリースから1年半してやっと自分達で理解してパフォーマンス出来る様になったという事言っているくらいですから、リリース時には無我夢中で歌っていたと言っても過言ではないでしょう。

 

その中で唯一衣織さん(野口衣織)だけがその持ち前の表現力から、この曲を引っ張っていたと言えると思います。

その部分が重要で、今でも恐らくこの曲は衣織さんがセンターと思っている人がいるくらい彼女のフォーメーションが重要な位置をしめています。

しかし、この曲のセンターはデビュー以来センターを務めていたぴとみん(髙松瞳)...先にも述べたとおり彼女もこの曲をどう表現したらという点では相当に悩んでいたのでは無いでしょうか?

その横で本人の意識は別として、天性の表現力で自分をはじめ他のメンバー達がそのパフォーマンスに悩む“手遅れ”を演じてしまう事が出来る衣織さんの存在、やはり自分との格差みたいなものは相当に感じたと思います。

 

 

考えてみれば“手遅れ”期間に変調が見え始めた舞香様(佐々木舞香)が次作“Want You!Want You!”の発売を待たずに休養に入りましたし、舞香様が復帰した後、半年少し後には自身の存在性に苛まれてたぴとみんが入れ替わるように休養期間に入った事にもやはり“手遅れ”が一つの要因になっていると考えてしまいます。

 

 

ただ、イコラブちゃん達に幸いしたのがこの曲がメインストリームにならなかった事。

衣織さんの多用はあくまでも楽曲世界の表現の為であって、メインはあくまでもぴとみん、更にプラス効用としてある種マルチセンターともいう歌割りが進んでいく事によって誰かに偏重するという流れが無くなり寧ろ彼女達の作品の多様性を助ける一つになったと思います。

ただ、それが結果的にぴとみんの休養の原因の一つになる事にはなってしまいましたが、少なくとも不在による混迷は生まれませんでした。

 

一方で漢字ちゃん達は益々てっちゃんへの依存が高まり(メンバーの中でも彼女への依存も進み、有力メンバーの意識が外仕事へと進んでいく事になる)、彼女がいなくては〝欅坂46〟という存在が成り立たなくなってしまいました。

もちろん不在時には彼女以外のメンバーがその代役を務め、またその事がメンバーのパフォーマンスメンや意識の成長こそもたらしましたが、結局飽くまでも代役として役割以上のものは少なくとも漢字ちゃん達の方向性が変わるという事はありませんでした。

これは皮肉な事にその反対の方向性でグループがあって欲しいという彼女自身の思いとは違った方向に進む事であって、更に悪循環が進む事になっていきます。

 
 
 
 
 
さてさて少し長くなってきましたので、途中にはなってしまいますが本日はここまでにしてまた次回後編を書いていきたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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