私の恩師の柏倉先生は、
舞台稽古の際に、しきりに
『役者は、褒められたら終わりだ』
と言っていました。
褒められた時点で、その役者には
それ以上、伸び代が無いということですね。
ですけれど、
これは、例えば 演劇講座やワークショップ、カルチャー教室などの場合は、変わってきますね。
でも、私の場合は、
それなりにダメ出しはします。
せっかく、参加したなら
何かしら学んで帰って欲しいからです。
それでも、
やっぱり、役者さんに対してとは
大きく違いますね。
京都の市村友和さんから、自主稽古の録画のURLを送って頂いたので、観ています。イヤホンをして何回も聴いてから感想を送ろうと想います。
まず、
動画を送ってくれる日にちも有言実行されてます。
自主稽古も、そう。
まず、その姿勢からして、
とても、素晴らしいですね。
市村さんは、
良い声の持ち主なので、これからが
楽しみです。
これから、
ゆっくり聴いて、
市村さんについては、役者としての感想を
誠実に。
送りたいと想います。
そして、動画は、まだ続きます。
まず、送って頂いたのは、
コチラ(下記)のシーンです。
とても、難しいシーンです。
「わが友人、ローマ市民、同胞諸君、耳を貸してくれ~」の長ゼリフは、ウィリアム・シェイクスピアによる演劇ジュリアス・シーザーのマーク・アントニーによるスピーチの最初の行です。アクトIII、シーンIIで発生し、シェイクスピアのすべての作品の中で
最も有名なセリフの1つです。何ページにも及ぶ
とても長いセリフです。
“おれはシーザーを愛さぬのではなく、ローマを愛したのだ〟高潔な勇将ブルータスは、自らの政治の理想に忠実であろうとして、ローマの専制君主シーザーを元老院大広間で刺殺する。民衆はブルータスに拍手を送ったが、アントニーの民衆を巧みに誘導するブルータス大弾劾演説により形勢は逆転し、ブルータスはローマを追放される……。簡潔、明皙な文体で、脈々と現代に生き続ける政治悲劇。