出産当日。
この日は初めてパパがボロボロ泣いているのをみた。
普段たまーに旦那に対してイライラするし、ムカつく時があるんだけど…
そういうときはこの日を思い出すとスーッとなくなるくるい印象深い日(笑)

このことはそれぞれが自分の両親に連絡したのだけど…
わからなかったけど旦那はどうやら少しテンパっていたみたい。
実母が出産当日きてくれたんだけど、旦那に、
「大丈夫⁇なんだかあなたが動揺してたみたいで心配してたよ。」の一言で…
私のベッドの上でボロボロ顔を隠して泣いていた。私がずーっと泣いてたから自分は泣かないようにしてたみたいだった。
糸が切れたように泣いていた。

お腹の中にいる赤ちゃんの名前は美亜(みあ)と決めていた。
最初は悲しくて悲しくて寂しくて。涙が止まらず、そして本当に死んでしまったのか…夢なのか…私の人生でこんなことあるの⁇という気持ちでいっぱいで涙が止まらなかったけど。
陣痛が強くなるうちに余裕がなくなった。
こんな悲しみの中、その悲しみを打ち消して行く陣痛はやっぱ人生で一番痛いと思うキョロキョロ
私のクリニックは促進剤の内服からはじまり、されでも産まれないようなら点滴という感じでした。私は最後は点滴でした。

陣痛がピークにさしかかる頃には悲しみより痛みで。
息子を産む時の気持ちと何一つ変わらなかった。

我が子に早く会いたい。
同じだった。

痛みで叫んで。
旦那は腰と手を握って。
「がんばれ‼︎がんばれ‼︎」と横で泣いていた。

産まれた時は達成感も一緒。
「かわいいね。かわいいね。ごめんね。」
そう美亜に声をかけた。

旦那は涙を流しながら「おまえ…本当によく頑張ったな。」と。
私、きっと旦那のこの言葉を一生忘れない。
(本人はもう忘れてるだろうけど 笑)
今から考えるとパパにとっては出産をみるのはこれが最初で最後。
1人目は単身赴任中、3人目は緊急帝王切開だったから。
美亜ちゃん独占しちゃったね爆笑

写真をいっぱい撮った。あとからみても笑顔の写真はないのだけれど。
美亜が産まれて嬉しかった。でも生きていたらもっと幸せだったな。
一人でナースステーション横の分娩室に向かっていった。
そこで助産師さんに心音の確認をされた。
最初はNSTの機械で心音を探した。
助産師さんの勘違いで最初お腹を触った時に動いたと感じたらしく
「今動いたよね、後ろ向いちゃったかなー。」
と一生懸命探していた。
「私…動いたように感じてないです。」
そう伝えた。

次にドップラーを持ってきた。
もちろんそれでも心音確認できず。
そして最後にエコーの機械。
もう…やめて。もう…わかったから。

「先生呼んでくるね」

あーやっぱり…たぶん…そうなんだよね。

信じたくないけど少し覚悟はできていたのかな。
取り乱すことはなかったけど赤ちゃんの死を伝えられた時
「なんで⁇」と繰り返し声に出して泣いた。

原因不明の胎児死亡だった。

駆けつけた主人と息子。
主人は息子を抱きしめながら泣いた。
息子はまだ2歳前だったのでよくわからない。
中途半端に起こされちゃったので大人の事情はわからずキャッキャと真夜中の病室を楽しんでました笑い泣き
そんな息子の笑顔に少し救われた気持ちにはなったけど息子は寝ないし涙が止まらないしでこの日は10分くらいしか寝れなかった。

最初に心音を探してくれた助産師さんも泣いていた。あの病院の助産師さんたちはとてもいい人ばかりだったなニコ

先生との話でそのまま入院し次の日に薬で陣痛を誘発して出産を迎えることとなった。
37週なので1人目と同じように経腟分娩をします。
あの時のこと暗くならないように書くつもりなので時々表現がふさわしくないこともあるかと思いますがご理解をお願いしますニコニコ


できるだけ歳は近く…できれば年子くらいで2人目は欲しいなと思ってはいたけれど。
生理再開後すぐにその時はやってきた。

息子はまだ1歳を迎えたばかりだったな。
妊活も積極的にしてたわけではないので、
とりあえず驚いたキョロキョロキョロキョロキョロキョロ
けどあの時の驚きと嬉しさは忘れられない。

悪阻はひどかったけどなんとか仕事もして
至って妊娠経過は順調だった。
息子の時は切迫早産で入院したけどそんなこともなく。早産傾向もなかった。
ただ思い起こせば妊娠初期の時に
一度出生前診断をしたほうがいいかもと言われた。
クワトロ検査⁇だったかな。
胎児に水がたまってるかも…なんて言われて。
最初は申し込んだけど、主人と相談してやっぱりやめることにした。
正確性に信頼できず、どんな子でも産むって決めたのでニコニコでも…綺麗事だったのかな。
私たちに障害を持った子が生まれるわけなんてないという気持ちもあったかもしれません。
今思えば覚悟が弱かったかもしれませんね。
ただそのあと何一つ胎児に関して指摘されることはありませんでした。

そして性別は女の子ということがわかったニコニコ
2人とも男の子だったらかわいいかもーとは思ってたので少しがっかりしたのは覚えているウシシ
でもでも女の子ドキドキ
息子のお下がりもあったけど、
かわいいお洋服を見ては癒されて。
退院する時の服くらいはフリフリがいいなと思って肌着とピンクの2ウェイオールを1週間前に買ったばかり。
お洋服整理しなくちゃとニトリでピンクのタンスを買った。
義理姉からベッドを譲ってもらった。
産休に入って35〜36週にかけていろいろ準備をしたのを覚えてる。
3日前に入院準備をした。(おそい…笑 良い妊婦さんは真似しないでください)
ちょうど何日か前にピンクのタンスが届いたけど背面に穴が空いていたので新しいのに交換してもらうこととなった。けどそれには時間がかかるということなので待つこととなった。
そんな中で37週を迎えて私たちに悲しい出来事が起こった。

前回早産だったから37週を無事に迎えるのが私の中で目標だった。
36週と6日の2016年10月10日の体育の日。
いつもは朝起きてしばらくベッドでゴロゴロしているとどこどこ胎動を感じるが今日はない。
それでも朝ごはんを作っている時に弱々しくトンって蹴られた気がする。これが私が感じた最後の胎動。
それ以降胎動がなかったけど気のせいかと思って日中は主人と息子で公園で遊んだ。
時々胎動がないことが気になって主人に話したりはしてたんだけど
「もう少し様子見てみるよ」なんて言ってたけど。
夕方くらいには少し焦ってきてアプリで心音聞けるやつ試してみたりお腹揺すったり、横になって休めば感じるかも…って。
でもどれも確信を持てなくて。不安なままベッドに入ってスマホを見てた。
胎動がないことについて調べた。余計にどんどん不安になった。隣で寝ている主人も最初は呑気でいたけれど主人も調べ始めて不安になってきたようで。
病院に連絡したらすぐに入院の支度をしてきてくださいと。22時ごろだったと思う。

横で寝ている息子を抱っこして車に乗り込んだ。
なんとなくこの時には状況がわかっていたけれど信じたくない思いとまさか自分たちに⁇という思いだった。

クリニックに到着して私一人で中に入った。
息子が夜間は入ることができないから主人と息子は車で待ってましたあせる