あの時のこと暗くならないように書くつもりなので時々表現がふさわしくないこともあるかと思いますがご理解をお願いしますニコニコ


できるだけ歳は近く…できれば年子くらいで2人目は欲しいなと思ってはいたけれど。
生理再開後すぐにその時はやってきた。

息子はまだ1歳を迎えたばかりだったな。
妊活も積極的にしてたわけではないので、
とりあえず驚いたキョロキョロキョロキョロキョロキョロ
けどあの時の驚きと嬉しさは忘れられない。

悪阻はひどかったけどなんとか仕事もして
至って妊娠経過は順調だった。
息子の時は切迫早産で入院したけどそんなこともなく。早産傾向もなかった。
ただ思い起こせば妊娠初期の時に
一度出生前診断をしたほうがいいかもと言われた。
クワトロ検査⁇だったかな。
胎児に水がたまってるかも…なんて言われて。
最初は申し込んだけど、主人と相談してやっぱりやめることにした。
正確性に信頼できず、どんな子でも産むって決めたのでニコニコでも…綺麗事だったのかな。
私たちに障害を持った子が生まれるわけなんてないという気持ちもあったかもしれません。
今思えば覚悟が弱かったかもしれませんね。
ただそのあと何一つ胎児に関して指摘されることはありませんでした。

そして性別は女の子ということがわかったニコニコ
2人とも男の子だったらかわいいかもーとは思ってたので少しがっかりしたのは覚えているウシシ
でもでも女の子ドキドキ
息子のお下がりもあったけど、
かわいいお洋服を見ては癒されて。
退院する時の服くらいはフリフリがいいなと思って肌着とピンクの2ウェイオールを1週間前に買ったばかり。
お洋服整理しなくちゃとニトリでピンクのタンスを買った。
義理姉からベッドを譲ってもらった。
産休に入って35〜36週にかけていろいろ準備をしたのを覚えてる。
3日前に入院準備をした。(おそい…笑 良い妊婦さんは真似しないでください)
ちょうど何日か前にピンクのタンスが届いたけど背面に穴が空いていたので新しいのに交換してもらうこととなった。けどそれには時間がかかるということなので待つこととなった。
そんな中で37週を迎えて私たちに悲しい出来事が起こった。

前回早産だったから37週を無事に迎えるのが私の中で目標だった。
36週と6日の2016年10月10日の体育の日。
いつもは朝起きてしばらくベッドでゴロゴロしているとどこどこ胎動を感じるが今日はない。
それでも朝ごはんを作っている時に弱々しくトンって蹴られた気がする。これが私が感じた最後の胎動。
それ以降胎動がなかったけど気のせいかと思って日中は主人と息子で公園で遊んだ。
時々胎動がないことが気になって主人に話したりはしてたんだけど
「もう少し様子見てみるよ」なんて言ってたけど。
夕方くらいには少し焦ってきてアプリで心音聞けるやつ試してみたりお腹揺すったり、横になって休めば感じるかも…って。
でもどれも確信を持てなくて。不安なままベッドに入ってスマホを見てた。
胎動がないことについて調べた。余計にどんどん不安になった。隣で寝ている主人も最初は呑気でいたけれど主人も調べ始めて不安になってきたようで。
病院に連絡したらすぐに入院の支度をしてきてくださいと。22時ごろだったと思う。

横で寝ている息子を抱っこして車に乗り込んだ。
なんとなくこの時には状況がわかっていたけれど信じたくない思いとまさか自分たちに⁇という思いだった。

クリニックに到着して私一人で中に入った。
息子が夜間は入ることができないから主人と息子は車で待ってましたあせる