なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪ -11ページ目

なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

何かの?誰かの?お役にたつ話題や
考え方もあると信じて続けたいと思います。
ご感想・ご意見・いやいや!
それは違いますよ!!でも勉強になるので、
何でも言っちゃって下さい!!
おもしろ楽しく、でも真剣に
なべちゃりんブログは、ここにあります♪



モリカケ問題で国会を空転させた民進党、結局は総理のご意向による依怙贔屓などを証明するものは何もなかったことが判明。



{251338AB-DCF8-4957-9E7F-D71FE5EB1EFC}


それでも政権転覆のために、総理の政治家としての手腕や言動には直接何の関係もないことにも拘らず、総理に近いジャーナリストによる「準強姦」があったという訴えで政権を揺さぶろうとしていた件も、起訴内容不当で議決終了した。





{1A86348D-3AA2-464F-B9E4-5E1971F9FD6F}

待機児童問題に絡めて出処不明のブログ「日本死ね」で総理を責め立て、自民党側の不祥事に噛み付いて「説明しろ!」「辞めろ!」と喚き散らした “ガソリーヌ” 山尾志桜里氏は、文春砲で撃沈しネット上ではその名を “パコリーヌ” に改名させられてしまった… 。



そして支援者への説明会は「出席者ゼロ」という… 。





民進党にブーメラン突き刺さりまくる秋、今回の衆院解散を「大義がない!」「総理の説明責任放棄だ!」と騒いでいるようですが、民進党のやってきたことの無責任さ、不誠実さに大義はあったんですか?



いつ解散になってもいいというのが衆議院であり、普段からの政策論争や論点を提示して国民のために働くべき衆議院議員が、ただ支持を集めたいだけで政権を揺さぶり国会を空転させてきたわけですから、その報いは当然受けてもらわねばなりませんね。



{0022C763-EB8B-4397-A07C-E57C9CB4746A}





▼     ▽     ▼     ▽     ▼     ▽     ▼     ▽     ▼


【「詩織」の準強姦という訴え、民進党がらみのハニトラ陰謀であったと確定】



{1C490BF5-40C3-4565-939D-55443BFAB8B4}

 

http://www.sankei.com/smp/affairs/news/170922/afr1709220024-s1.html


 警視庁に準強姦(ごうかん)(当時)容疑で書類送検された元TBS記者でジャーナリストの山口敬之氏(51)を不起訴とした東京地検の処分について、東京第6検察審査会が「不起訴相当」と議決したことが22日、分かった。議決は21日付。


 議決書は「慎重に審査したが、検察官がした不起訴処分の裁定を覆すに足りる事由がなかった」としている。


 警視庁に被害届を出した20代の女性が「詩織」という名前を公表し、地検が嫌疑不十分で不起訴としたことを不服として、検察審査会に審査を申し立てていた。女性によると、平成27年4月に東京都内の飲食店で山口氏と会って食事をした後に記憶をなくし、目覚めたらホテルの客室で裸にされ、山口氏が上にまたがっていたと訴えていた。


 山口氏は自身のフェイスブックで、「法に触れることは一切していない」とコメントしていた。


▼     ▽     ▼     ▽     ▼     ▽     ▼     ▽     ▼


【出席ゼロ 山尾氏の説明会中止】


{3B7D9949-C5A3-4C8F-8F05-ABE4BB7EFF47}


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170922-00000060-asahi-pol


 民進党を離党した山尾志桜里衆院議員(43)=愛知7区=が22日、表明後初めて地元入りした。支持者らに、週刊誌で報道された既婚男性との交際問題について謝罪したうえで、次期衆院選に同選挙区から無所属で立候補することを正式に表明した。


 山尾氏は22日午後2時半ごろ、愛知県尾張旭市の市営施設に到着。紺のブレザーに白いスカート姿で、車から降りると一礼。「地元の方々におわびと感謝と決意の気持ちを伝えたい」と報道陣に話したあと、支持者らが集まる会場に向かった。


 事務所の説明によると、この日は別に午後1時から愛知7区内に約10人いる民進党地方議員への説明会も予定していたが、こちらは出席が一人もなく、取りやめになった。同県瀬戸市と日進市でも支持者らに説明する。



トランプ米大統領の国連総会に於ける一般討論演説の内容に全面的に賛同したい。



{19CA9B9D-AAA2-4893-8801-EEFC70E734BE}


{D3890EE7-5381-4DEE-9A9D-920E34A54024}


まず、北がスパイ育成のために横田めぐみさんら日本人を拉致したことについて言及していることには感謝しかない。




そして、「テロ組織を支え資金援助する国を暴露し責任を負わせるべきだ」との考え方や、ウクライナ紛争や中国の南シナ海進出を挙げ「国家主権への脅威は拒絶しなければならない」という姿勢には諸手を挙げて支持したいところ。



だが一方で、すべての国が「自国第一」と考えることは当然で極たまり前とも言及しているけれども、ちゃんと前段で中国などに釘を刺していて「だからと言って何をしても良いというわけではない」という立場であることを表している。



………………………………………………



    米国は20世紀半ば当時「アカ」、つまりは共産コミンテルンの総本山である旧ソ連に嵌められて、知らず識らず加勢してしまったことで、我が国との先の大戦へと行き着いてしまったが、それによって実は本当の敵は「アカ」だと分かった契機になったのが、その直後に勃発した朝鮮戦争なのである。


{E2281D93-9BA9-4AB4-9D67-B6F561F1A389}

それによって20世紀後半の「東西冷戦」状態を招き入れてしまった米国は否応なく “世界の警察” をせねばならなくなってしまったのである。



   我が国側は無意味な平和憲法を採用させられて以来70年間、国防問題が発生すると常にそれが足かせになり、その時にはいつも国内の「アカ」か民意を翻弄して事の本質を見えなくし、今日まだそのような状態が続いていることに苦しめられている。


米国もまた「アカ」に嵌められた過去から脱却しきれていないことで、“世界の警察” をせざるを得ず負担から逃れられない宿命に陥っていて苦しめられているようなもの。



{17E66E20-DD56-4AE6-A72B-836DBAAC36EC}


{B6F15080-C2AD-4E73-933D-D2392F3A0EA0}


{5D604393-B6CD-493A-A654-51DA7A602BE5}


    かつて「アカ」に嵌められて骨肉相食むような戦争をしたもの同士が、盤石の同盟国となって現代の「アカ」と戦うことは、これはもう人類の平和実現のためには欠かせないことなんだろうと思う。




先の大戦を断片的に捉えて反米意識が抜け切れない人は、私は世界平和実現の邪魔をする者として深く軽蔑する。




▼      ▽      ▼      ▽      ▼      ▽      ▼    





    トランプ米大統領は19日、初めて国連総会に出席、一般討論演説に臨み、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮が米国に脅威を及ぼすなら「完全に破壊するしかなくなる」と強く警告した。金正恩朝鮮労働党委員長を指し「『ロケットマン』は彼本人にとっても彼の体制にとっても、自滅への道を突き進んでいる」と強調した。


 また、日本人拉致被害者の横田めぐみさん=失踪当時(13)=を念頭に「北朝鮮が自国のスパイに日本語を教えるため、13歳の日本人少女を拉致したことをわれわれは知っている」と言及、北朝鮮を批判した。


 演説でトランプ氏は、北朝鮮を「邪悪な体制」と非難するとともに、核・ミサイル開発が「全世界に脅威を突き付けている」と語った。国連安全保障理事会での北朝鮮制裁決議が、中国とロシアを含む全会一致で採択されたことを挙げ、「さらなる措置を講じなければならない」と主張。「敵対的な振る舞い」をやめさせるため、各国が団結して北朝鮮を孤立させるよう呼び掛け、「北朝鮮の非核化だけが許容できる未来だ」と訴えた。


 トランプ氏は、イラン核問題をめぐり欧米など主要6カ国とイランが締結した合意について「最悪で最も一方的な取引だ」と批判し、離脱も辞さない姿勢も示した。イスラム過激派のテロ防止に関しては「テロ組織を支え資金援助する国を暴露し、責任を負わせるべきだ」と強調した。


 このほか、ウクライナ東部の紛争や中国による南シナ海進出を挙げ、「国家主権への脅威は拒絶しなければならない」と述べた。


「米国第一」を掲げ国際協調に後ろ向きの姿勢も目立つトランプ氏の演説は、大きな注目を集めた。同氏は「すべての国の指導者が自国を第一に考えるのと同様、私は常に米国を第一に置く」と訴えた。


     国連運営に関しては「米国は予算の22%を分担し、不公平な負担を引き受けている」と不満をにじませながらも、「問題がすべて解決されるのなら、それに見合った投資になる」との認識を示した。





    1945年の今日、インドネシアがオランダからの独立を宣言した。



インドネシアはオランダの植民地であったが、1942年に日本軍が侵攻しその軍政下に置かれた。日本はインドネシアを独立させる方針をとり、1945年8月19日に独立宣言する予定となったが、その直前の8月15日に日本軍はオランダを含む連合国軍に降伏した。


独立が反故にされることを恐れたスカルノらはこの日に独立宣言をしたが、以降、オランダとの独立戦争を戦うことになった。その結果、1949年にオランダからの独立承認を得た。



……………………………


【日本肯定派が一番多いインドネシア】

   2006年に米メリーランド大学と英BBCが共同で行なった調査で、「世界に最も良い影響を与えている国は日本」という結果が出ました。その中でも、日本肯定派が一番多かったのはインドネシア。「日本が好影響を与えている」とする回答が85%にも上っています。


   東南アジアの親日国、インドネシア。台湾が親日である理由と同じく、戦後の反日主義にどっぷり染まった人にとっては「アジア=日本侵略の被害者」という図式が刷り込まれているので、この結果が理解できないかも知れません。せいぜい「戦後の経済力で援助をしたからかな?」くらいの理由しか想像できないでしょう。

インドネシアと日本との間には、短いながらも、かつての台湾と同じように共に歩み、苦難を乗り越えた歴史があるのです。




【オランダによる350年の圧政】

   1602年、オランダはジャワ島に東インド会社を設立し、植民地経営を始めました。首都のジャヤカルタはバタヴィアに改称され、以降350年間に渡って、オランダは東ティモール以外の領土を支配します。第一次大戦後、1930年前後からインドネシアにも独立を希求する民族運動が発生しましたが、オランダはこれを厳しく弾圧しました。

   オランダは、徹底的した愚民政策で狡猾にインドネシア全土を支配しました。100以上ある部族を互いに敵対させておくようにし向け、一部のオランダ人に従順な部族を警官として雇い、経済は華僑を利用し、現地人の反感がオランダ人に直接向かわないようにしたのです。統一言語ができると抵抗運動がおきるので、部族間の言葉はバラバラのままにさせ、道ばたで3人以上のインドネシア人が話していると処罰するほど徹底した支配でした。





【日本軍の快進撃、予言の神兵】

   ところが、大東亜戦争が勃発、世界情勢は風雲急を告げます。蘭印にも日本軍がやってくるらしいという噂が流れ始めたある日、インドネシア人が爆音に空を見上げると、空にいくつもの白い花が咲き、戦士達が降下してきました。我らが空の神兵、日本軍の落下傘兵です。


{01CA9841-2300-4F5E-B1A3-CAF67CA50DA0}

「これこそ、予言に謳われた黄色い人々ではないか! 」



インドネシア人は驚き歓迎しました。彼らの協力も得て、落下傘部隊、銀輪部隊はすさまじい勢いでインドネシアを進撃し、オランダ軍はわずか9日間で完敗することになります。



   インドネシアには、古くから伝わる『ジョヨボヨ王の予言』という伝承がありました。

「我らが王国は、白い人びとに支配される。彼らは離れたところから攻撃する魔法の杖を持っている。この白い人の支配は長く続くが、空から黄色い人びとがやってきて白い人を駆逐する。この黄色い人びとも我らが王国を支配するが、それはトウモロコシの寿命と同じくらいの期間だ。」

これは12世紀前半、東ジャワのクディリ王国のジョヨボヨ王が書き記した『バラタユダ』 という民族叙事詩(いわばジャワ版『マハーバーラタ』)の一説です。


自分たちが350年間抵抗し続け、そのたびに全滅させられてきたオランダを、9日間で駆逐してしまった黄色い人びと。これはまさに予言の実現であることを知ると共に、インドネシア人は、白人が決して全能の神ではなく、アジア人が彼らの奴隷ではないことに気付き始めたのです。




【日本軍政時代】

   以後、インドネシアは日本軍政の支配下に置かれました。このとき、国名は蘭印からインドネシアに、オランダ名だった首都バタヴィアは、古インドネシア王国のジャヤカルタに倣ってジャカルタに改称されます。


さらにオランダ語は廃止され、新たな国語としてインドネシア語が作られました。(当時、ジャワ語の分かる日本人がおらず、特務機関で学習されていたマレー語が採用された)また公的機関にもインドネシア人が雇用されるようになりインドネシア人の組織化、社会参加が進みました。


さらには、日本は将来のインドネシア独立を見越して、インドネシア人の若者からなる祖国独立義勇軍(PETA)を組織し、日本軍式の軍事教練を施しました。このPETAが、独立戦争の中心戦力となり、後のインドネシア国軍の母体となったのです。今でもPETA出身の軍高官は「日本精神のおかげでオランダに立ち向かうことができた」と語っています。




【インドネシア独立戦争】

   日本は、1945年の9月にインドネシアの独立承認を約束していました。
ところが8月15日、日本は敗戦を迎えます。日本の軍政は3年半。これは奇しくもトウモロコシが育つまでの期間と同じでした。ともあれインドネシア人達は、これで独立かと喜びましたが、再びインドネシアを植民地支配するために、イギリス軍とオランダ軍が戻ってきました。


   しかし、日本の統治によって、「インドネシア人は猫から虎に変わっていた」のです。


日本軍は、ポツダム宣言受諾以降、連合軍が来るまでの現地の治安維持と武器の管理を命じられていましたが、秘密裏に武器を流すなどして、自らが育てた義勇軍を支援します。しかしこうした「武器の横流し」がどこでもスムーズに行われたわけではありません。武器庫の番をしていたある日本兵は、暴徒と化したインドネシア人に対して一発の銃弾も撃たず殺されますが、彼は自らの血で「インドネシアの独立に栄光あれ」と壁に書いて息絶えました。


さらには、2000人以上の日本軍将兵が、現地に残ってPETAと運命を共にし、4年にも及ぶ独立戦争を戦い抜いたのです。PETAは厳しい訓練を乗り越えたとは言え、実戦の経験はありません。そこで歴戦の日本軍将兵は、インドネシア人を指揮して常に最前線で戦ったので、死亡率も非常に高かったと言います。


残った将兵達の動機は個別に見れば様々でしょうが、彼らは玉音放送における…

「朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」(私は日本と共に、終始東アジアの解放に協力してくれた諸盟邦に対してすまなく思う)
との昭和天皇の大御心を代わりに果たし、インドネシアの独立の礎となったのです。


日本の敗戦後にも世界のあちこちでアジア独立のために遂行されていた戦い。これもまさに大東亜戦争だったのではないでしょうか。


そんな英霊達の御霊は、ちゃんとジャカルタにある国立英雄墓地に祀られています。


{17838088-83DD-491D-B86A-0F14498D9E2F}

{C0E4F395-664A-49D5-9CD0-0B5E8D7D951E}

{7370C973-B719-466C-9F84-25E30C73CB80}

{1FF47C26-4E83-460F-A3C7-1AF444280ECE}




【インドネシアに残ったもの】

    8月17日には、後の初代大統領スカルノによって、独立宣言文が読まれました。その宣言文の日付は170805(05年8月17日)、05年とは西暦ではなく皇紀です。


この日には、毎年盛大な独立記念祭が行なわれます。そこで華々しく行進するインドネシア国軍のパレードで使われているのは、PETAマーチです。


………………………


「祖国防衛義勇軍(PETA)マーチ」  (斉藤守氏訳)

1、アジア すでに敵に向かい 蜂起せり己を捨てて 全力を尽くす 連合国を粉砕せんと玉散ることもいとわず 進め進め 義勇軍アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ

2、古きアジア 不幸に苦しむ列しき圧制に幾世紀も忍ぶ 大日本 雄々しく立てりアジアを救い 我らを守る 進め進め 義勇軍アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ


{A2A58776-332D-4E3E-90C2-C1545E93AE24}


…………………………




パレードのクライマックスでは、インドネシア人の男女二名と、日本陸軍の扮装をした男性による三名で、インドネシアの国旗を掲揚するのです。


   台湾や朝鮮の統治と違い、3年半しか統治できなかったインドネシアには、日本が建設した建物は何も残っていません。独立戦争に身を投じた日本人将兵たちも、多くは帰らぬ人となりました。しかし、日本への敬愛の情と、国家の誇りと独立にかける情熱は残りました。

戦後の日本人が忘れてしまった物語が、インドネシアには建国の神話として残っています。戦前の日本人が持っていた理想が結晶した国、それがインドネシアなのです。


{51BD07E0-DDB4-4090-A665-CD020E0C9B56}