前回の記事から…
私の初恋相手であったK子ちゃんが中学時代に
部活動で、スポコン根性丸出しで
頑張っていたのは、バスケットボールでした。
その顧問の先生が黄色〇の中にいらっしゃる
美術のT先生。(K子ちゃんは赤〇の中)
その先生が授業で面白い課題を出してくれて
私はやる気漫々で楽しみに望んでいました。
その時のエピソードを 『復刻再編成版』 として
再掲載いたします。
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私が中学生の頃、当時は丁度レコードから
CDへと移行する時期であったのですが、
【レコードジャケット】 を自分で作ろう
という授業がありました。
私は、クラッシックピアノの習得が早かった
兄の影響を濃厚に受けて、いわゆる
【インストルメンタル】
【クロスオーバー】
といった、『ジャンルを越えた歌の無い音楽』
にハマッていました。
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当時は、東京はよみうりランドEASTで
【Live Under The Sky】
といった海外アーティストの公演…、
特にアメリカ・西海岸を起源とする
【Fusion】 【Jazz Funk】
のアーティストが来日し、
日本人にその個性的な演奏で
大きな衝撃を与えていました。
『チックコリア・エレクトリック・バンド』
圧倒的なドラムソロから、ジングルが鳴り
人造人間のようなパフォーマンスをしたか?
と思いきや、ダイナミックな旋律に続き
ユニゾンの嵐の如くのテーマ…。
周囲が 『ベスト ヒット USA』 で狂気
しているご時勢に、私は中学生としては
明らかに異端児だったでしょう…。
私は驚愕と鮮烈な印象を受け、
最新電子楽器による絶妙なアンサンブルと
個々の演奏テクニックの素晴らしさに
酔ったが如く。
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しかし、私は日本人としてこの
【インストルメンタル】 の音楽で
個々のプレイ・自己主張重視ではなく、
バンドとしてまとまった時に発揮される
計算された緻密なアンサンブルと、
各自のプレイではソロ部分でレコード媒体や
それまでやった公演とは違った演奏のアプローチ
をし、常に聴衆へのサプライズを与えてくれた
『CASIOPEA』
日本において、歌謡曲が流行り聖子ちゃんカット
の女性や、追っかけファンがあふれる世相において、
彼らは、前述の魅力で 【日本人的インストバンド】
として観客動員数が多く商業的にも成功した。
そして、80年代半ばからはロンドンを皮切りに
世界の有名なJazz Festivalへの公演を繰り出し
ヨーロッパ人をして、
『日本人は、家電・車・時計
に飽き足らず、音楽までも輸出を始めた』
と言わしめた時代があった。
彼らは、あまりTV メディアには登場しない
というか、作曲・綿密なリハーサルやレコーディング
そして国内・海外の公演で多忙を極めていて
登場しようにもその暇がなかった…
という方が相応しいかもしれない。
当然、当時小学校から中学に上がる時期だった
私の周囲で趣向している人間はおろか、
その存在すら知られていない状況だった。
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しかし、彼らはビデオカセットのCMで
突如TV メディアに現れた。
グァムの海の中で、楽しく演奏する4人。
『あの人たちは誰だ?』
私は、興味をもった人間に一応の説明をしたが
何分中学生である多感な時期で、ごくわずかな
友人だけが他の音楽も含めて趣味を共有したが、
ほとんどは一過性のもので、他のメディアが
流すものや、部活に勤しみ印象は薄れた。
しかし、私は一部の好感を共有した友人と
吉川晃司氏をして、
『貴方たちのステージはアートだ』
と言わしめたステージングに酔いしれて
伯父の計らいで、何度も何度もライブに
出掛けていったのである。
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そして、中3になって冒頭にご紹介した
【レコードジャケット】 を自分で作ろう
という授業があったわけです。
私は、その先年にCDでしか出ていなかった
CASIOPEA LIVE のジャケットを作った。
『ASAYAKE』
これは、コンサートの最後を飾ることの多い
いわゆる 【18番】 で、ライブの最高潮。
この映像は当時、レーザーディスクが出て
話題になったが、今では希少なDVD版が出ている。
その【レコードジャケット】 を自分で作ろう
の授業でのことである。
一生懸命に作成している私の横目で言った
心無い友人からの一言が、心に刺さった。
『歌無い音楽なんて、何がおもしれぇんだ?』
そのときである。
美術のT先生が、私の心を救った。
『お前はCASIOPEAを聞いたことあんのか!』
『聞いてもいねぇで、分かったこと言うな』
『人の趣味に首突っ込むんじゃねぇよ』
『お前がお前の趣味をそう言われたら
どういう気持ちになるか考えろ!!』
この経験が今の私にどれだけ影響したか
それは計り知れない。
このときのT先生の愛情に感謝したい。
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そして、今回の 【なべちゃりん論】 の
結論を記述して行きたいと想う。
現在、家財整理をしていてその際出てきた
CASIOPEAのどれかのレーザーディスクで
初回限定特典の非買品シングルレコードに
書かれていたライナーノーツで、
リーダー・ギターの野呂一生氏が記した
内容に想うところがあったので
ご紹介させていただきたい。
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『自分の見ているこの世界は、いったい
何なのかということを考えたことが
ありますか?
音や光、そして色、形 触覚といった
様々なものとの出会いによって
作られている自分の世界とはいったい
何なのでしょう?
たとえば “音” というものを考えて
見ると、音を感じるという出来事は、
自分の耳を通じて行われるわけですから
自分が音だと想っている物は “耳” から
入った何らかの波動が頭の中で具体的な
感覚として組み立てられた時に、はじめて
“音” としての役割を果たす訳です。
これを言い換えると、自分で感じている
“音” は、“自分が作っている”
と言っても良い訳です。
我々CASIOPEAが作ったと思っている
このサウンドも実は、これを聴く “あなた”
が作っていると言えるのです。
すべての出来事がそうであるとしたら、
この世界は自分なのでしょうか?
それとも、自分がこの世界?
なのでしょうか?
色即是空ですね…』
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趣味趣向においては、そういったことが
如実に認められると思います。
音楽のみならず、たとえば分かりやすくは
食事で言い換えると明らかです。
つけめんが好きな人がいて、
ラーメンが好きな人と好みで論争しても
それは結論はありませんね。
自分の趣味趣向を語ることで他を傷つけたり
諍いになることがないのであれば、
それは本当にそれぞれで良い訳です。
ですから、私は趣味趣向において
“好き” は今回のように堂々語りますが
“性に合わない” と感じてもそれは
『嫌い』 とは公言しないようにしてます。
それは、自分がそう言われて傷ついた過去
があるからです。
それは、自分に対しても他者に対しても
【思い遣りを持つ】 とイコールだと
信じているからです。
しかし、その 【思い遣りを持つ】
ということは、【言いたいことをいわない】
ではなく、相手を想って “愛” を注げば
好き嫌いではなくて、誤解や正しい間違い
に関わる問題であれば、
【言うべきことはいわなければならない】
しかし、一方で
【それに対する理解は、相手に委ねる】
【理解は求めても求められてもいけない】
という核心が、ここにあるわけです。
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趣味趣向の世界以外の現実について
政治・経済・歴史認識・高齢化社会
世代間相互理解の欠如・ココロの病…
それらはどう説明が付くか?
世の中のすべての事象が、“自分”
という 【トランスミッター】
で感知される限り、
真に 『客観的』 とは有り得るのか?
私なりに考察したことを、次回以降
順次気ままに掲載させて頂きたい
と思っています。
2012年 晩夏
なべちゃりん