【好きだよと言えずに初恋は…その2(復刻再構成)】:なべちゃりんの小学生から24までの恋 | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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_____前号からのあらすじ_____





私の初恋は、小学校1年生で

クラスメイトだったK子ちゃんでした

$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-幼少公開写真(2)

私は1歳の頃から手術によってキレイにする

31歳まで、右手のひらは火傷で

ケロイド状態でしたが、




$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-仲良し幼馴染、つり橋を往く


青いシャツが私。ピンクのオーバーオールがK子ちゃん



小1で出会った初恋の人、K子ちゃんは

遠足で嫌がらずに茶色いケロイドの私の

手を取りいろんな話をしてくれました




・・・・・・・・・・・・・・・



K子ちゃんは2年生でお父様を亡くされ

わたしは3年生で同様に父を亡くし

幼少ながら同志のような面も

ありました…





上じて、高学年からはクラスが別になり

疎遠になりましたが、私はずっと好きで

いたように、今になって思いを馳せています。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私は父を亡くした虚無感を食欲で満たし

肥満体になってしまいましたが、

サッカーとであって更生。




中学ではボールを触らせず上下関係に

厳しすぎるサッカー部の顧問に反発して、

中学では、地域クラブで活躍しました。




そちらは和気藹々としたクラブで

私はキャプテンにまで一応なれて、

GK、センターバック以外のポジションは

全て経験するまでになれました。



・・・・・・・・・・・・・・・・・


中学を卒業し会うこともすれ違うことも

なくなりましたが、どういうわけか

夏になって行き着けのレコード屋さんで

バイトをK子ちゃんが始めていた!!!




屈託のない笑みと、展開する話題、

必ず自分の意見を盛り込む、

そして身振り手振りで表情豊か…






幼なじみから次第に思春期の私の

ココロは間違いなく 『恋の華』 を

咲かせていました。





_____以上、前号から粗筋_____




次第にお店に用もないのに行って



『今日はいるかな?…』



と、遠目からウロウロ・・・







ストーカー? いやいや。







思い切って1度だけCASIOPEAの

コンサートに誘ってみたらOKで

ワクワクしていましたが。。。







『Jちゃんゴメンね…。バイトだった』





シフトを忘れていたようです…。




結局、取れたK子ちゃん用のチケットは

うちの下宿の方に差し上げるカタチで

ご一緒させていただいた思い出があります。







・・・・・・・・・・・・・・・・・



ちょっと天然で、兄弟上2人が男で

だから思春期の男の子へのフランクな

対応で気があると勘違いされて…





まさか、オレも?







その後K子ちゃんは自立心旺盛な性格と

近親者(特に母親)の揉めごとから

逃れたいからか、単身アメリカへ留学…。






ここが、我が母親との違いだったのか?





確か、K子ちゃんのお父様は会社の社長で

お母様はややハデだったように覚えてます。



憶測の域は出ませんが、母子家庭にして

そのままハデな生活を継続したのでしょう…。







もう逢うこともないかな…





*************







しかし!!!





24の時、風の噂で帰国していると知り

もう大人だし、幼なじみなんだし、

どういうわけか間が良く好きな人も

恋人もいなかったので、




ある晩、思い切って受話器を取り

(携帯がまだ普及し始めた頃でしたが

     もっていませんでしたwww)




昔の中学の連絡網から番号を調べ

電話してみたら本人が出た!!!!!





1時間の長電話♪




『Jちゃん、もう遅いし今度逢って話そ』







四谷で翻訳のお仕事をやっている

というので周辺で待ち合わせ、

8年ぶりのご対面




ティーン・ガールから、

立派なレディになっていたK子ちゃん






一方、目的のない大学生の就職活動

に嫌気がさして、ボウリングの世界に

ハマっていたニート的な私





また自分が恥ずかしくなったりして、

でもK子ちゃんはそんな私の考え方を

否定も肯定もせず、活き活きしている

そのこと自体を持ってそれはそれで

素敵なことなんだと諭してくれた…







『Jちゃんは幼なじみだったから

   言えるんだけどね…、わたし、

   男の人を好きになったことなくてね』




(え?、俺のことはやはり好きとは

   思ってくれてなかったのか・・・)




『で、私悩んで20の時にアメリカで

    レズじゃないか検査したんだよ♪』




(ニコニコして、スゲえこと言うなぁ…)





『そしたら陰性って分かって、

   それからすぐに恋人出来たの♪

 でもお母さんのために日本に

   帰らなきゃならなくて別れてきた。

 でも、やっぱり私の性格では日本は

   合わないみたいで住み辛いよ・・・

    いずれはまたアメリカ行くかも。』




(やっぱ、幼なじみのままが良いな、

  オレは日本が好きだから離れられ

  ないだろうし、果敢無い想いに

  引きずられない方がいいな・・・)




*************




2回目のデートで六本木のJazzバーへ行き

大石学さん(ピアノ)とシャーディーさん

(ボーカル)のセッションを聞きに行ったのを

最後に、なべちゃりんはK子ちゃんとの関係に

区切りを付けたことを思い出します。



そのことはK子ちゃんには告げずに。







『今度逢うときは25だね。

     またデートしようね。』




これが永の別れになりました






しばらくして、やっぱりアメリカへと

永住権を得たいという意志で旅立った

ことを、また風の噂で知りました…







7月24日がK子ちゃんの誕生日。



今日は彼女の41歳と1ヶ月の日ですか。



ステディと出会う4~5年前の話です。



・・・・・・・・・・・・・・・・・



18年もココロのどこかで気になっていた

人に一度も 『好きだよ』 と言えなかった

なべちゃりんの初恋は、

真に、村下孝蔵さんの歌のようです。





24の時に逢ったK子ちゃんは、

ロンドンオリンピックで苦節の末、

銅メダルを勝ち得た、競泳の寺川綾さん

そっくりな印象です。

$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-寺川綾選手

実際、K子ちゃんとは小学校の時、

同じスイミングクラブに通っていました。

(あの、『フジヤマのとびうお』

 古橋広之進氏が建立したクラブでしたが
 
 いま現在はマンションに建て変わってます)



負けず嫌いで(これは上2人が兄だから?)

ひた向きで、常に私に戦闘心むき出しでした(笑)






今のK子ちゃんは見た目は真矢みきさん

のような女性であろうことを想います。


$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-真矢みきさん






ひょんなことになっていたとしても

伴侶に相応しい人ではなかったと思います。





だって、神は今のステディを引き合わせ賜り、

苦境でも最高のコンビでこられたのですから…。




$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-05_21(8)


やはり、ステディがいいですね♥




そして、ルカも必要なんです♪


$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-ルカの開き