この記事は、2012年3月16~18日の記事からの
連綿とした繋がりのあるものです。
詳しくは、そちらで前提をご確認の上
読んでいただければと思います。
■2012年3月16日号
http://ameblo.jp/nabechalin/entry-11191487525.html
■2012年3月17日号
http://ameblo.jp/nabechalin/entry-11191490439.html
■2012年3月18日号
http://ameblo.jp/nabechalin/entry-11191491473.html
_______本編_______
残された時間を考えて、
『出来る時に同時にやりたい』
という焦りなどの感情を抱きつつ
老境の身体を省みず、実際は…
『出来る時間も身体の余裕も限られている』
ということに気付かずにいる…。
・・・・・・・・・
心身ともにバランス良く通所介護を利用しながら
回復させたのに、エディソン氏の再出現によって
ココロの方が “そう状態” に転じた母親…。
2012年3月22日の記事 【そう状態に転じた母親(4)】
ここで私の兄と母親が水と油の関係であるような
内容を綴りましたが、兄は大企業で勤まる器で、
彼の母親に対する評価は、家族として同居していた
時期までの印象が強いように思います。
それが良いか悪いかではなく、
同じ目線で話せるか話せないか。
同じものを見ていても、立場や考え方で違う。
これはごく当たり前のことですが、
感情的な溝が大きければ大きいほど
寄り添って見ることは難しいということです。
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兄が結婚して実家を出たのが母親が59歳、
兄が30代になったばかり…。
祖母が存命でしたが、認知症はまだ発症しておらず
80代後半を悠々自適に生きていました。
私は20代を悠々自適に 【独り善がり】 に
生きていました…。
やがて兄は新しい家族と、
近所に賃貸で住むことに。
そこで母親とはどうやら一線を置いて、
完全独立の道を選んだようです。
それに至るには、二人の決して混ざらない
考え方や性格の違いが大きかったでしょう…。
・・・・・・・・・・・・・・
そして、2000年代に入って、祖母が認知症に。
当時私は、オヤツの時間から天辺までのお仕事。
夜中の 『体位交換』 (寝返りをさせること) や
下の世話を担当することにします。
この経験が、今の私には大きく影響したと思います。
でなければ男手一つで介護など出来るものではない。
母親は昼間にヘルパーのフォローのもと
存分に祖母を介護することになります…。
一方、兄は段々と会社での責任が増していきます。
加えて新しく家族を持っていますので、
実家のフォローまでは出来ません。
大会社でも 『無理なものは無理』
と、上司にも言い切れるタイプです。
社会に出てから急激にそういった
“ドライな面” が強くなっていきました。
私は冷静に考えると…、
どこかで “ドライな面” を出す人間がいなければ
大切な人は護れないことが沢山ある
と気付いていますが…。
最近、兄から、
『俺は嫌われ者でいい。お前にだけは申し訳無かった』
と労いを受けました。
敢えて 『嫌われ者』になっても 『無理なものは無理』
だからこそ、実の母親の面倒について一任している
カタチになっていまった私に対しては、
『申し訳無かった。現実的に出来ることで対応したい』
という姿勢を貫いていると兄を理解しています。
実家の荷物の移動や、母親に纏わる全ての資産の管理
相続権の放棄などは付帯条件として述べています。
一方、母親は昔の人です。
父が亡くなった40代から母子家庭を支えるのに
幸運にも外に働きに出なくても家計が傾くことは
なく “専業主婦” のまま生きてきました。
当然、家庭的で “ウェットな面” が強くなります。
“情に脆い” です。
そうすると、“ドライ” な兄と “ウェット” な母親。
これは話せば話すほど、“水と油” で
混ざり合うことはないです。
結論から考えて、合理的にすすめて生きる兄と
その都度感じて、情に流されながら生きる母親。
極端過ぎて合うわけがありません。
私は兄が家族として同居している間は、仕事の都合上
2人の “水と油” の論争はあまり見ていませんし、
目撃したら 『メンドくさ…』 と避けていました。
まだ若かったですし、認識不足もあったでしょう。
そういった経緯も、今日の状況に
大きく影を落としているなと…、
つい最近、ようやく気付いてしまいました…。
…続く