【亡き父の33回忌に想う】:厳しさは本当の優しさの中に宿るもの。 | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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父の命日は、9月6日。。。


今年のその日、私は父の享年と同い年となり
さらに33回忌を迎える夏になります……。


来週、病身の母親をステディ改め妻に任せ
兄と2人で法事に望みます。


菩提寺は、父の妹の嫁ぎ先ですので
家族葬でこれまで法事を行ってこれた
ようなものです。



今回から、我が半生を振り返る良い機会
だと感じて、自叙伝的な括りで皆様に、



【本当のなべちゃりん】



というテーマで、ご紹介していきたいと想います。



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その朝、私は兄と二人で東側の墓地に
面した部屋で寝ていました。



『すぐに出掛ける支度をして』


と祖母に促され、朝焼けで眩しい光で
染められたタンスから、おぼつかない
手で服を出し着替えました。



明け方、兄と祖母とタクシーで病院に
向かいました。


私はめったに乗れないタクシーでやや
浮かれていました。





着いた先は、父の入院先。




病室に入ると父の顔には白い布が
掛けられて居ました。





それがどういうことなのか、



幼い私が実感を伴って理解するには
数日掛かることになりました。





人の死を、初めて自分の体験として
受け入れなければならない。



それが自分の父親だなんて。




きっと父は還ってくるはずだと、
私は信じていたように記憶しています。



私の父は、41の前厄で亡くなりました。



肺ガンでした。




度々、話題にあげているように、
私は紙巻タバコを製造販売した家系との
繋がりがあって、京都へ行くと縁の建造物や
一族専用に割り当てられた墓地があるほどの
盛栄な過去があったようです。



しかし、父はおそらく喫煙と関係する
死因だったのでしょう。



父は、今となっては大きな企業で
初めて『労働組合』を結党したことで
会社から白眼視され、母親は


『今度、名古屋支店から来る男とは
 口をきくな。』

と言われていながら


『ひょんなこと』でゴールインしたようです。





亡くなったのは、1980年。


私は当時小3の、絵を描くのが大好きな
男の子でした。



『労働組合』を作りながらも業績が
評価されたのでしょう。



父は仕事に専心してしまい、健康診断は
後回し。




よって、余計にがんの発見は遅れ、
『余命1年』となりました。





まだ今とは違う死生観の時代だったのか
『告知』は本人にされぬまま。





母親は先生から


『お辛いでしょうが、ご本人には伏せた
 方が良いでしょう』

と、1人告知を受け、




相談者として母親の兄、伯父上には
打ち明けたそうです。。。




最近、その伯父上に会う機会に恵まれまして



私:


『確か父が亡くなる直前の夏休みに、ボク、
 お父さんは死ぬんじゃないかな~、って
 言った覚えがあるんですよね…』




伯父上:


『あの言葉には、おじさん何て答えていいか
 困ったよ(笑)』




そう、幼い私が気付くわけですから




当然、本人は…





父はよく母に私を病院に連れてきて欲しい…

と言っていたのに、




抗がん剤の副作用でヘトヘトな
父の顔をまともに見ることが
できない私は…




父に会うことを、つい、避けていた…





これは、父の身になって考えた時
本当に痛恨の念に打ちひしがれます。





私は祖母も91になる最期まで介護し
自宅で看送ることが出来ました。




人の死を、小さい時から身近に経験
してきました。





大切な人を失う虚しさは計りしれません。




小3で亡くした父の声は忘れました。



しかし、

可愛がってくれ、また厳しく叱られたこと
決して忘れていません。




今は、『告知』はごく一般的になりました。




残された時間をどう生きるか?




この究極の問題に、
当事者ふくめ家族みんなが参加します。





我々もいつ天にめされるか?


浄土教の絵画にある『来光図』のように
お迎えがいつくるかは、知りません。





人は確実にみんな平等に死にます。



私も、あなたも。




カタチあるもの、全て空しくなる。


これだけは、宇宙の真理かもしれません。




今の子どもたちは、人の死を目撃しているのか?



家族関係、親戚付き合いが希薄な世の中、
本当にゆかりある人が旅立っていく機会を
持てているのか?




これ、経験しているのと、いないのとでは
同じ土俵で『死生観』は感じてもらえない
のかもしれない…



そんな危機感が、私のカラダをざわめかせます。





父と、もう一度逢えるのなら、
せめて一杯の酒だけでも酌み交わしたかった…




お父さん、先に死にやがって!




バカ野郎!




でも、あなたが先立たなければ
気付かなかった想いを頂けて…




本当に、本当に、ありがとう…




決してあなたを忘れたりしないよ。


だいじょうぶ。私はここにいるから



夢にでも遊びに来て欲しい。



多分また会えるよね。



座して、眺めて待っていてよ。

お父さん。




貴方の身体を受け継ぎ、そして肌身の
感触で教えてくれた優しさと厳しさ…



私には、伝えていく義務があると想う。




最近、父の6人兄弟の一番下である叔母と
メールの交換をしています。




『ブランコの公園で貴方を抱っこしながら
 他のお家の子供が悪戯をして遊んでいる
 のを叱りつけていたのを思い出してます。
 今、そんなお父さんって居るかしら?』



他人の子にもいけないことを叱れる父。



見習わなければいけないと思いました。



モンスターペアレンツが横行するような
今の世の中を、父は想像できただろうか?




厳しさは本当の優しさの中に宿るもの。


$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-父と私



平成のオヤジを目指したい私の大きな
目標が亡き父であることを、今思って
いる父の命日の暮夜であります…。




冥利なのですかね。