【私の父性の源 (復刻再編成)】:遠い夏の日の思い出。分けが分からず取調室へ。警察嫌いの所以。 | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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父が亡くなったのが、9歳の夏…。



それまでは、自分で言うのも何なのですか


本当に屈託のない少年でした。





『本当のなべちゃりん』 ですから


私のお写真、Webにて初公開!!!



$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-幼少公開写真(1)

とはいっても、父が亡くなる1年前。

友人のお誕生日会にて。





$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-幼少公開写真(2)

次号に登場する、やはり復刻記事のヒロイン

私が18年ココロの何処かに想っていた

初恋の女の子が左側の少女。




彼女も、この小学校2年生の時に

お父様を亡くしています…。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・



私は父を亡くして以来、しばらくは

引き篭もりの子供でした。





友達の 『~くん! あそぼ!』





という誘いには一切応じなくなり、

ポテチの味の虜になって、4年生には



10kg太ってしまいました。




父親が亡くなった関係で、1980年以降

プライベートの写真が殆ど遺されていません。




なので、恥ずかしい『肥満児』の写真は

この世には無いと言うことでホッとしてます。



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時は流れて、私は中学3年生になります。





以降の記事が、復刻記事に当たり、

私の失われた『父性の源』という点で

思い当たるエピソードを綴らせて頂きます。





私は父の死から、寂しさを食欲で満たしていた

のだろうか、『肥満児』 になってしまい

尿検査で危うく遠い施設送りになる寸前の

状態になっていましたが、



小学校4年生の 『学級サッカー大会』 で

なんと準優勝のメンバーになって、



サッカーへの目覚めと共に、1982年の

スペイン・ワールドカップを深夜NHKで

楽しみ抜いて、学校のサッカークラブに入部。





結局、レギュラー・チームに入れるほどの

ハートの強さはありませんでしたが、

何度か遠征のベンチに入れる実力を得て

中学校では、学校のクラブではなく

地域スポーツクラブに入ることを選択し、

2年生~3年生ではキャプテンを務め、

そこそこ活躍の場を得るに至りました。





しかし、音楽への目覚めとともに

サッカーは引退。



高校からは、自分のやりたいことは結局

実力が伴わずメンバーを集めるハードルも

高すぎて、もっぱら他のバンドの足りない

パート(特にエレキベース)のサポートが

中心の趣味に変わってしまいまして…





それからはスポーツと言えば、

たまに区民施設などに行く水泳のみです。





余談ながら…



あの、東京電力の持っていた23区内にあった

スポーツ施設、(野球場・プール)には

生息地が近く、少年時代からよく行っていました。




今回の売却の件は、悲喜こもごもです。





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話は戻りまして、



ある中学3年生の夜…。




その夜、私は塾の合宿の帰りで、隣町の優等生

(以降Aくん)と意気投合し、帰りのバスで

共通の友人(以降D)の話で盛り上がりました。




Dは孤独なアウトローを気取り、バスケット部に

いたというその身の丈の大きさから、長ランが

似合う愛すべき不良でした。





『あいつ、小学生の頃はそんなだったのかよ!』




AくんがDの過去を暴露。


私はDの現況を話して盛り上がります。




Dは中学生に上がってからチョイ悪な

ヤンチャ坊主になって、髪型を“デップ”で

固めて、いわゆるリーゼント風にしていました。





ある時、他の中学校の連中から


【デップ・ボウイ!!!】



と呼ばれたことに腹を立てたDは、

その中学校まで、そう叫んだヤツを捜索して

トッチメに、なぜか私を連れて?(護衛か?)

行ったこともありました...。




その時は、半分冗談の牽制もあったのですが…。




まさか、モノを盗んでいるとは...





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塾の合宿から帰った時、Aくんが



『あいつ、デップ・ボウイって呼ばれてんだwww 

 お土産でも渡しに一緒に家に行ってみようか』



ということで、そのデップ・ボウイDの家へ

向かいました。





『よく来たな!!! お前ら、

  どういう関係???』(D)





塾の合宿で意気投合したことを話して、



『俺も受験まで塾でも行こうかな…』(D)




と、要するに強がっていてもどこか仲間に

入りたいような寂しさも漂う面もあって

意外と憎めないヤツでした。





夜も更けて、合宿で知り合ったAくんも

帰って行ったので、私もお暇しようと

腰をあげたら、Dが…




『折角お土産持って来てくれたしよ~、

 重い荷物もあるんだから、俺が近くまで

 送ってってやるよ。』(D)




『おぉ、サンキュ。』




私はDの載る自転車の後ろに立ち乗りして

蒸し暑い住宅地を蛇行しながら悠々と

走っていました。





2人載りです。




当然、見付かったおまわりさんには

注意されるっでしょう…。





するとどうでしょう…





本当におまわりさんが近付いてくる

ではありませんか…






いつも威勢の良いDが多少落ち着きが

ないではありませんか…







おまわりさんが防犯登録を確認。。。。






あれれれれれれ。。。。。。




おいおい!



このチャリ盗んだんだね!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




2人は、パトカーで警察署へ護送。。。





Dが盗んだのに、なんでボクまで??





少年の私はビビって言われるがまま。





取調室に入って、事情聴取。

まさに『相棒』の世界。





ちゃんと大きく鈍く光る鏡があって



『あの向こうから誰か見てるかも??』

って感じたこと、記憶してます。





しかし、私に共犯的な要素はなく

午後8時の補導から4時間すぎた、夜半ころに釈放。




その間、警察は私の親権者に何の連絡も

しなかったようで、午前1時自宅近くまで

パトカーで送られ、放免。。。。。





自宅へ入ろうとしたら!!!!!!!!!!!






母親が激怒して入れてくれない!!!




どうしよう? 







あ、2階の兄貴に相談だ!!!




当時19で浪人中。猛勉強していた兄貴は


『どうしたん?』 




と手を差し伸べ、今度は兄貴に事情説明。。。







次の瞬間。今度は兄貴が激怒!!!


『補導は仕方ないにせよ、事情を親権者に
 
    連絡することは当然でしょう?
 

 これは警察の保護者連絡義務違反だ!!!』






次の日、私のために当時19の少年である兄が

交番・警察署に狂犬のように噛み付き、

事態は署長レベルまでの報告に至る。。。。






その数日後、警察署長が菓子折りをもって


『こちらの配慮に欠ける行為でした!
 
   申し訳ありませんでした!!!!!』

と謝罪しきり。。。。







ははははは。。。





してやったり。







みなさん。警察・役所の人間は時に

血の通っていない杓子定規なところが、

このようにあります。





しかし、そういう組織・存在がこの世間を

守っていることもまたしかりなんです。




でも、おかしい???




と思ったことに対しては、断固闘う気持ち

忘れてはいけません。



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交通警官などに違反切符を切られても

標識が樹木で見えなかった場合や

その措置に異議申立がある場合は

公安委員会に申し出でたり、

様々なアクションを辞さない姿勢は

大切かもしれませんね。




言いなり、聞くがまま、受け売りは

いけないという根本的問題があります。




この経験で私は警察嫌いになりましたが、

一方で、犬のように法規・規律に従順な

組織でなければ出来ないことも、また

世の中には必要不可欠であり、双方の

存在とアクションから発生する諸問題

については、見極めて善後策を常に

意識しないといけませんね。





『杓子定規』 はあってもいい。

それは世の中の秩序を護るたまには…。




しかし、言いなり、受け売りで

『付加価値のない』 存在ばかりでは

この世は崩壊します。




肝に銘じて生きて生きたいです。





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しかし、Dの野郎…。


笑わしてくれますわ。


最近、当時の家を通り掛かりましたが

転居していて行方が分かりません。



夏の日の思い出にしろって

ことでしょうか?







そして何より、この経験が今の自分に

どれだけ大きな遺産となり

自我の形成に役立ったことか!








そう、テーマの 『私の父性の源』



それは、兄なのです。




現在、某電機メーカーで管理職~幹部へと

本人が望まざる道へと引きづりこまれている

といった状況のようです。




非常にドライな面と、熱い想いから

突き動かさせるモチベーションの人。




小5~6の身で、父とよく喧嘩してました。

小5の少年が、父に論理で食って掛かって

いたことを、最近思い出しています。






もうすぐ、その兄と父の33回忌に

望みます…。


$なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪-兄であり、父であり。

1979年、東京・調布市深大寺にて。