http://ameblo.jp/nabechalin/entry-10918701165.html
【早速ダイエット・ウォーキング開始:Part1】
:思わぬご縁にビックリ!!!!!
先日↑こちらのブログで書き記しましたが
わざわざ遠方まで電車を乗り継ぎ歩いて
お買い物に出掛けた時に通り掛かった、
恩師との思い出の場所をご紹介します。
ボウリングのドリラー仕事を辞めて、
建築学びに夜学通いしながら働きたい
私の意志をかって雇い入れて下さった、
土木の設計事務所の所長が数カ月に
1度、私を宅地造成や土木技術を目で
見て勉強させてくれるため、クルマで
案内してくれた思い出の橋だ。
数年前、たまたま携帯に連絡させて
頂いた時、すい臓ガンで入院中だった
のでお見舞いに伺いました。
『なべちゃりん、得ての道は厳しく
とも諦めちゃいけないよ。』
恩師は私が辞めて本格的に建築の道を
歩み始めた数年後、事務所をたたんで
現在、つくばエキスプレス周辺の開発
事業のために急激な環境の変化を覚悟
で激務に励まれて、健康診断でガンが
発覚したという。
『なべも、大変な会社で苦労しただろう
けど、まだまだ若いから頑張ってくれ』
その後、携帯繋がらなくなったから、
多分、まさか…
遺言のように思えてならない。
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こうして再び巡りあったのもご縁
と考えて、取材してきました。
全景
奥ゆかしくて品がある、
新しいものと受け継がれた
和の美を感じる欄干と街灯
『融合の文明開化の遺産』
ここでも日本を誇れます。
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碑文をご紹介します。
1913年、大正2年9月に都内四ッ谷駅直上に竣工した上路式鋼製アーチ橋です。
この頃の日本の橋梁技術は、近代橋梁技術の黎明期を過ぎ、自らの力で歩み始めた時代で、周辺環境との調和に配慮した設計がなされ始めた頃でした。
内では日本橋と共に、文明開化時の面影を偲ぶことのできる貴重な橋梁となっていました。
高欄や橋灯し、及び橋名板などは、隣接した迎賓館とデザイン的に対応させたネオバロック様式の装飾が施され、周辺環境との調和を配慮した設計で、文化財的価値の高い橋梁となっていました。
技術的にも非常に高く評価でき、その当時の設計、施工技術は現在でも十分に使用に耐え得るほどで、我が国近代橋梁の道標となっていたものです。
このように、橋梁の構造と造形が巧みに融合した歴史的名橋は、長池見附橋と名前を変えてこの地に移設、再建されたしたが、移設、再建の出来なかった構造体の中の貴重なものについては、我が国の土木文化や近代技術を後世に永く伝えていくために、ここに展示保存することになりました。
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http://www.geocities.co.jp/tokyo_ashy/bh-yotsuyamitsukebashi.html
↑こちらのページで現在の四谷見付橋
と併せて詳しく書かれています。
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採取した展示物もありました。
当時は路面電車が走っており
敷石の下に鋼製のバックプレートを張り
このようにレールが路面と段差なく設置
レールの直下に、敷石をはさんで
床組の I 鋼が組まれています。
素晴らしいです。
現在はこのように、四谷にも多摩にも
路面電車はありません。
四谷にある迎賓館と対応させたデザイン
は欄干にも言えます。ネオ・バロック調。
調和を考え、花崗岩を採用した
このデザイン。素晴らしいですね。
これは、煉瓦張りの出隅部(角っこ)
にも↓このように採用しています。
『互い違い』 に組み上げている点も、
素晴らしいですね。
全体図(立面図)
向かって左が中央断面。
向かって右が端部断面。
構造美がときめきます。
アーチに整然と組まれた鉄骨美。
ネオ・バロック調の欄干(手すり)。
街灯など鷲が如く、今にも羽ばたきそう。
日本人の技術の高さと
和洋折衷の美意識。
本当に素晴らしいですね。
紹介して下さった恩師に感謝致します。