あるペタを頂いた方にコメントしていて感じたこと、その方の想いを載せて記事に致しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
菅首相が被災者に、
『物資が届かない状況はどうなってますか?』
と質問したということは記事に致しました。
首相が、被災者から聞かれるべき質問なのに。
http://ameblo.jp/nabechalin/entry-10850439273.html
実は救援物資はどんどん被災地には届いているが、いわき市では集積所にして、大量の物資は山積みのまま放置されている…。
その影には、ボランティア相として暗躍する辻元清美の存在があるとも記事にしました。
http://ameblo.jp/nabechalin/entry-10849384524.html
ある避難所ではいまだ、1日パン1個と僅かな水、そして灯油切れ、更にはようやく意識が現実に戻って、事の重大さと精神的ショックとストレスにより、毎日何人かのお年寄りが亡くなっていると言う。
また、津波の被害に遭った地域では、ボランティアの多くが市役所に集まっていた。しかし、被災者からの依頼電話が無いと動けない。ただ大勢の善意の若者が、ただじっと市からの指示を待っているだけ。
被災者はこのことを知らされてないから、誰も連絡などしない。
ただじっと電話が鳴るのを待ち会場で指示を待つボランティアの若者たち。なぜ市は、彼らの存在を知らしめないのだろう。
なぜ、連絡が無くても被災地に向かわせないのだろう。
たとえ、「物資は我々が運ぶから…」と名乗り出た人がいたとしても、市から指示があるまで運んではいけないという。
何を運ぶか、いくつ運ぶか、市の在庫調整があるからだと言う。
一つの被災地に1,000人の避難者がいて995分のおにぎりしかなかった場合は、その避難所には運べない《決まり》になっているという。
誰がそのルールを決めたのか。
そして結局、6時間待たされた後に、「今日決定するのは難しい」…と拒否された。多くのボランティア達も、何もすることもなく帰って行った。そして、その数も日々減って来ているという。
今、一番恐いことが起きているような気がする。
連日、何とか助けたいと思って集まっても、ボランティアには何もやることがないからである。
市の職員も国も自衛隊も警察も、みんな必死で動いているのは分かる。
しかし、何とかしたい、何とか力になりたい、何とか助けたいと思っている人たちが大勢いる。
ただそれらを繋ぐ、行政や国の命令、指示系統がない。
完全なる縦社会の構造。
なぜ行政は彼ら一般の方々の力、そして善意を生かせないのか。
なぜ現場の職員は皆、上からの指示が無くては動けないのか。
緊急事態では誰も決断できないでいる。しかし、緊急事態だからこそ即断すべきではないのか。
善意の義援金についても片山総務相の考え方では、日本赤十字に集まったものでさえ国や行政の手に委ねて一時分配したいという。
http://ameblo.jp/nabechalin/entry-10851105527.html
そのための予算編成、使い道などを連日会議を行ってから使うとのこと。
いつ決まるか分からない。
それまで誰も使えない。
税金の使い道をあれこれ考えていることと同じことをしているのでは…
と勘繰ってしまう。
仏教に『毒矢のたとえ』というものがある。
《毒矢のたとえ》
ある人が毒矢に射られた。
すぐに矢を抜いて処置をしなければならない。
ところが、「一体この毒矢を射た人は誰か、どんな名前の人か、どんな顔の人で、どこに住んでいるか、どんな弓で射たもので、どんな毒なのか…」
と理論だけを追求していたら、結局その人は手遅れになってしまった。
今、国はこれと同じことをしているのではないだろうか。
今、必要なものを必要な人に手渡すだけなのに、なぜこんなに手間取っているのだろう。時間が過ぎれば過ぎるほど、犠牲者がどんどん増えるのに。
『命にも期限があるのに…』
国は、法律やルールよりも上に、ひとりの命を優先すべきことを知らないように思える。
ルールは時に弊害となる。
今こそ、ただ一言、『各地の現場の責任者に任せる』…
と言えば良いだけなのに。国も行政も命令、指示を出すためだけに会議を行い、そして現場もただそれを待つのではなく、現場にいる長、もしくは一人ひとりの決断こそが大事な時だと思う。非常事態に必要なのは、現場の決断だけなのだから。
自分の責任や立場を考える前に、一人ひとりが扶け合う、
『相互扶助』の本質を分かってもらえれば…と思ってしまう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
全ては左翼的政権の融通の無さによるとしか言えないでしょう。
民主主義と、公平を謳った偽善的な独善主義を履き違えた正に左に偏った考え方が現政権に固執し、護りべきものを自らの政権運営であって、本来あるべき国民の生命と財産ではない方向性が、全てを誤らせていますね。
我々は彼らの思想的背景を知る必要がある。歴史についても、如何に彼らが特亞に迎合し言われのない捏造を受け入れてきたかも。
そしてこのことを踏まえ、子どもたちには正しい知識と判断力が必要なんだと説明し教育せねば、犠牲者の方々に大変申しわけないように思います。