私は元気でやってます♪ お父上・・・ | なべちゃりん的な考え方?? 宜しければ、戴いて下さい♪

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私の父は、41の前厄で亡くなりました。


肺ガンです。



もうじき、父上を凌ぐ年齢になるとは…

感慨深いものがあります。



父は、今となっては大きな企業で

初めて『労働組合』を結党したことで

会社から白眼視され、母親は

『今度、名古屋支店から来る男とは口をきくな。』

と言われていながら

『ひょんなこと』でゴールインしたようです。


亡くなったのは、1980年


私は当時小3の、絵を描くのが大好きな男の子でした。



『労働組合』を作りながらも業績が評価されたのでしょう。


父は仕事に専心してしまい、健康診断は後回し。


よって、余計にがんの発見は遅れ、

『余命1年』となりました。


まだ今とは違う死生観の時代だったのか

『告知』は本人にされぬまま。


母親は先生から

『お辛いでしょうが、ご本人には伏せた方が良いでしょう』

と、1人告知を受け、



相談者として母親の兄、伯父上には打ち明けたそうです。。。


最近、その伯父上に会う機会に恵まれまして


私:


『確か父が亡くなる直前の夏休みに、ボク、

 お父さんは死ぬんじゃないかな~、って

 言った覚えがあるんだけど…』


伯父上:


『あの言葉には、おじさん何て答えていいか困ったよ()


そう、幼い私が気付くわけですから



当然、本人は…







父はよく母にボクを病院に連れてきて欲しい… 


と言っていたのに、


抗がん剤の副作用でヘトヘトな

父の顔をまともに見ることが

できない私は…


父に会うことを、つい、避けていた…



これは、今、本当に痛恨事です(涙)


そんな私が自然と死生観、

語ることが多いブログなのは、


父の想いを背負いながら、

自分の人生を生きるための

『決意』なのか?


と想わされます。


私は祖母も90になる最期まで看届けました。


人の死を、小さい時から身近に経験してきました。


大切な人を失う虚しさは計りしれません。

小3で亡くした父の声は忘れました



しかし、


可愛がってくれ、また厳しく叱られたこと

決して忘れません。


今は、『告知』はごく一般的になりました。


残された時間をどう生きるか?


この究極の問題に、

当事者ふくめ家族みんなが参加します。


我々もいつ天にめされるか?

浄土教の絵画にある『来光図』のように

お迎えがいつくるかは、知りません。



でも、確実にみんな死にます。


私も、あなたも。


カタチあるもの、全て空しくなる。


これだけは、宇宙の真理かもしれません。



今の子どもたちは、人の死を目撃しているのか?


家族関係、親戚付き合いが希薄な世の中、


本当にゆかりある人が旅立っていく機会を

持てているのか?


これ、経験しているのと、いないのとでは

同じ土俵で『死生観』は感じてもらえない

のかもしれない…


そんな危機感が、私のカラダをざわめかせます。


父と、もう一度逢えるのなら、


せめて一杯の酒だけでも酌み交わしたかった…


お父さん、先に死にやがって!




バカ野郎!




でも、あなたが先立たなければ

気付かなかった想いを頂けて



本当に、本当に、ありがとう…



決してあなたを忘れたりしないよ。


だいじょうぶ。ここにいるから、

夢にでも遊びに来てください(笑)


多分また会えるよね。

座して、眺めて待っていてよ。

お父ちゃん。




なべちゃりん