町火消「い組」 日本橋
大八代将軍吉宗の時代、江戸は100万人を超え世界でも突出した大都市でした。
しかし火事が多く、いかに被害の拡大を防ぐかが再需要課題であった。
1718年大岡越前守忠相は、町人主導の消防を組織化する。
江戸城に近い町割から「いろは」順に火消の集団を置いた。これが町火消「いろは四十八組」の始まり。
「いの一番に駆けつける」言葉が今でもあるように、誰よりも早く到着するということで、「い」は最初を指す意味がある。
江戸時代、い組の火消人足は300人以上いたというが、今ではその歴史を守っているのは4人しかいない。
日本橋を支えた江戸の職人達