新潟 | ドイツ人夫と息子と愛犬と東京生活

ドイツ人夫と息子と愛犬と東京生活

ジャカルターモーリシャス ーホアヒンーサムイ島での生活を経て、2023年4月から東京でドイツ人夫と、タイで飼い始めたラブラドールと、2021年4月生まれの息子との新生活が始まりました。日本に住むのは19年ぶり。東京での日々の生活を綴ります。

GWの前の3連休は、両親が東京にきてました。


息子の3歳のお祝いに。


そのことはまた別途書きます(多分)。



両親が新潟に帰る時に私と息子も新潟へ帰省。

が、両親共に体調不良で、しかも二人とも肺炎だったという、、、(あまりに風邪というには酷かったので病院へ行ったら、二人とも肺炎と診断された。肺炎は人にうつる病気じゃないのに二人揃って同じタイミングで肺炎というのが変だと思われたらしく、そのあとも色々と検査してました。)




なので、新潟滞在中は両親共にダウン。

仕方ないので、息子と二人で出かけたりしました。

あとは、地元の親友の家に遊びに行ったり。

幸い仲良しの一人がうちの実家に家を建てたので、遊びに行きやすい。



私の実家は新潟でも田舎の方で、イオンや市がやっている子供センターみたいな場所くらしか子供が遊べる場所がない。


田舎ならではで、イオンのキッズエリアや子供支援センターみたいな場所も、平日は空いてて快適に遊ばせられたのは良かったけどね。


あとは、オークラホテルの創設者である大倉喜八郎の別邸が、彼の故郷である新潟県新発田市に寄贈され、一般公開されているので見学へ。













息子も一緒だからあまりゆっくりはできなかったけど。



最終日は東京に戻る前に友人と公園へ。


アルパカとかヤギに餌やりもできて良かったです。




ここも平日だからか空いてた。

快適。




いつもは帰ると母親に頼りっぱなしだけど、今回はそれはできず、実家にいながらも息子と二人で過ごすことも多かったけど、それなりに楽しめました。



でも、新潟に住むということは、考えられないかな。

田舎だからとかではなく、元々新潟の気候が苦手だった。

20歳で新潟をでて海外で暮らしだしたけど、一度も新潟に戻ろうと思わなかったのも、やはり昔から肌に合わなかったのかなと。冬の寒さや雪はやっぱり生活する上で本当に大変だよね。

若い頃からそれが嫌だったから、なんの躊躇いもなく新潟を出る決心もついて、更には戻る気にもならなかったまま今に至る。


昔から気候や天気に左右されやすかったのかも。

(それは気圧のせいかなと思ってる。)



家族も友達も大好きだし、帰ったらいつも楽しいけれど、自分が住みたい場所ではない。

たまに行く場所だから好きでいれる気がする。




と、今回帰ってふと考えたのでした。



新幹線はGWの前の平日だったから、まだ空いてました。



息子が寝ちゃって、抱っこ紐でおんぶしてこの荷物持っての移動はもう体力勝負だった。


ほんと、移動は体力が全てよね。



無事東京に戻ってホッとした。