2月19日
永遠の命という真の存在が、ヒトの影の世界では、
遺伝子の総合的永遠にすり替わった、つまり外形のみが生死を繰り返すシステム
として理解されるようになった。
生命の核として遺伝子があるということは、
素粒子の構築システムとしてそこに意図があったとうことだろう、
もちろん今 目の前に存在するような事象を意図していたかは 疑わしいが。
本来の物質システムを擬したものが いわゆるヒトの利己的な遺伝子である。
だからと言って、久遠の高度な存在を可能にするようなシステムなど
われらに思いつくはずもない。
突然物理哲学的遊びに浸ってしまった。それも含めて
またもや最高の1日を賜った。
前年度のまるで騙されたかのような税制の態度を、
やっと元に戻せる可能性をついに得た。つまり昨年度の所得税の確定申告である。
そのための作成会場が設営されるのだが、それも当然年々デジタル化していく。
散々自分でためしてみたが、何しろ短期記憶の勝負である、デジタルの世の中は。
紙なら、あれ忘れた、と言ってバックして見直すことができるが、
大抵の場合それは不可能の憂き世であり、
たとえ先のことを親切気に説明してあっても、そのページのみの親切行為であって、
ヒトはその内容をすっかり記憶できていなければ役立たない。
愚痴はこのくらいにして、ともかくこんなあんなで、とりあえず試しに参加してみたのであった。数人の助けがあって、結果はグッド。安心した。
その際に起こった面白いことを記録しておこうと思うのである。
いわゆるe-TAXで自ら税金を納めますと申告書を作成しましょう、
それを簡単にしようというのが主旨であるけれども、
そうは問屋がおろさないの典型である。
諦めというか、お任せしますの境地で出かけた。
久方ぶりの一人、まずバスに乗ろうとするとカードが反応しない、
運転手が教えた、もっと下にある黄色の部分にタッチするのだと。運が悪かった。
その日はその同じ運転手にばかりあたった。
2回目、カードをチャージしてもらう、それが済むと
「そして、降ります」とあたしはヨロリとおりたのであった。
「そして」が可笑しかったかなと反省した。
3回目は「黒町に行きますか?」「ノー」
「じゃ、私はその前の緑川橋でおります」「そこもノー、小尻町までです」
「えっ、」「どうします乗らないでおりますか」
一考、「いえ大丈夫です」
何が大丈夫かと彼は疑ったかもしれない。そして確かにあまり大丈夫ではなかった。
すでに暮れていた、小尻駅前で降りた。学生の群れについて行くと駅に出た。
タクシーが2台待っていた。
実は列車で次の友会駅まで行ってタクシーかなとも思っていたのだが、
エイ、今日は散財だ、と決心して、前のタクシーに近づいた。
ドアを開けてくれない、中で運転手の影が合図した、開けろ、との意味?
あたしは自力でドアを強く引いて開けた、そんなワゴン車なのだ。
やっと開いた、と、人影がそこに座っていた。
「後ろに行ってください」と運転手が言った。1秒ほどして理解し、
すみません、とあたしはドアを閉めた。開ける前に中は見えなかった。
そして後ろのタクシーへ とぼとぼと歩いて行った、ババアと誰からも思われただろう。
あたしはまだよく知らない町名を言い、説明した。
初めてみる裏道を走って、運転手が
「そこを左でしょ、」
「いえいえ、右です、給食の会社のある方へ、それからファミマから右へ」
彼がいきなり右へ曲がったのは、そこは道ではなかった。
が、文句は言わず指示に従って千五百円を稼いだ。
降りる間際に、たずねた。
「友会駅にもタクシーは待ってますか?」
彼はとんでもないという動作をした。あたしは正しく行動したのだ。
その前には、街中で今夜は豪勢に食べようと思った。
すると、その前に千四百円の理容室が偶然にそこにあったので、早速利用した。
ここにはまだ1軒しかないそうだ。
牛タンが苦手とはわかっていたのに、鮪とアボガドとネギの一品をノンアルビールで食べたい一心で入った。そのネギのうまかったこと! タンはやはりあたしには不可能だった、
噛んでも噛んでも飲み込めない。吐き戻して返した。
その旨を若い店員に言ってみたが、もちろん?という顔をした。
さて話は本題の申告会場でのこと、
一人目は60歳過ぎの、二人目は70歳以上のベテランと時々、若い税務署員とで、
懸念していたデータ連携の不備の気配などなく
(あの警告は自宅で試みることを諦めさせ、全員を寄せ集めて合理的に、間違いがなく、素早く申告させる罠であったかもしれない、税は国の元、国民も還付金の可能性につられて、粛々と従う。そこに集う無数の善男善女をみると言うに言われぬ気分になる。こうして平和な国が基本的に運営されて行くのだろうな)
ひとつのエラーハプニングは、
令和7年度といった場合、1月から12月なのか、4月から3月なのか、たしか8年前までは4月から3月がひとつの年度であった。
何だかそうではなくなったような気がする。わからない、
おじさんは1月からを強調したのだが。
こんなあやふやな背景のもと、
手元の束をみると、医療費の領収書は12月までしかない。
しかし申告会場まで来て初めて、3月まで集めるべきだったのでは? と思ったのだ。
どこに1月以降分はあるのだ? 実は無かったのだ。それは
その期間たまたま医者に行かなかったのだ!
集める時点では、1月からだと思い込んでいた、
あたしは確かに1月から12月分を集めていた、
しかし計算はしていなかった、というのも、それはマイナカードと連携して
周知のはずであるので。ちなみに領収書ではなく必要なのは明細書だと読んだが??
ところが、おじさんはきちんと病院ごとに計算してここに書けとおっしゃる。
計算機はあるので大汗かいてそれをやりとげた。
そしてスマホからデータをとりよせ、最終的な金額を出させた、ところ、
あたしの計算と異なる。数千円くらいあたしの計算の方が少ない。
たしかに入院費を計上していないままの一枚があった。
それで、専門家が協議の末、あたしの計算書は破棄ということになり、それらを元に、
社会保険料ととりまとめると、思惑通り、還付されることとなった。
これで苦労の甲斐があったというものだ、でてきた時には優に2時間がすぎていた。
歩くことがもうできなかった。そこに1時間座っていた。
中年の見知らぬ婦人もそこに倒れ込んできた。早く来すぎて待たされて、もうだめと
苦笑いしつつも、まだ帰る体力はあるようだった。
この後、前述の如く、あたしは髪をカットし、牛タンで苦労し、バスとタクシーで問題を引き起こしたのである。しかし、文句を言う筋合いはまったくない、
本物の極楽への道はますます極楽めいてくるのである。
その証拠に? この月曜日、施設でふいに右股関節あたりに鋭い痛みが走った。
床に足をつけない、驚愕、
さてはついに骨が?と思ったが骨の痛みではない気もする。
これでは税の申告にも行けない、寝たきりか? とショック状態に陥った、
その時、介護士の古株おじさんが、リンパを流してみましょうかねーと、熊本弁のアクセントで言った、すぐに左脚を触る、ここがパンパンじゃねーと膝裏からほぐす、
10分ほど。湿布も貼ってある。そしてたちまち痛みは消えたのである。
変な床式生活の疲れやなんやかんや、で凝った体の付けがそこに出たものとみえる。
80歳以上の女性の認知症的特徴は、基本的に心理的にあるいは脳生理的に、何かに拘ってそこに不安がたまっている、ように今の所見える。静かだったり愉快だったり性格は別として、鍵、かばん、財布、買い物、メモ帳、息子の電話など毎日数時間格闘している。そんな自分であることを知らないのが、哀れをさそう。
あたしだって何かに拘っていて気づかないでいるかも。
先日、あまりに自分の歌がひどい(蛙声、音程が不安定、リズムが超ゆっくり)のを録画して、笑いのネタに、と息子と孫に送信したのだけれど、あ、とも う、とも返事がない、その仕業に呆れ果ててしまったのだろう。
さて、何をして呵呵とわらって過ごそう。


