2026年1月27日

昨日より 笑ったような困ったような妙な表情を自分がしているのを感じて、

それを言葉にして意識で包もうとするとますますおかしさが増す。

この、目の前の、見知ったようで見知らぬ、何年前だったか、

地震で大いに破壊されたのを、それを機にむしろ近代化したようにすら

見える白いビル街、看板が異様に少ない。

 

そうだもう、あたしはあたしの時間の旅のなかで迷子になっている、

第二の故郷、九州の熊本市に昨日ついに引越してきたのである。これが実感できるか?

リアルをリアルと感じきるはずがない、そこは時間のるつぼなのだから。

 

そう、まずその時間の流れを正さなければならない、話が混戦してしまうから。

異なる感情の波に揺すられた挙句には、まさに溺死してしまうだろう。

 

思えばはるか、はるか昔、9歳のおかっぱ頭のあたし、錐子と弟とが

両親に連れられて南の端、鹿児島から北の端、青森へ、48時間の

蒸気機関車の旅ののちの朝まだき、

粉雪の舞う浅虫(姉弟はアサメシだと笑った)を通り過ぎた。

そして青森駅に降り立った。

1年後にはまた蒸気機関車に乗って日本海側を移動していた。

同じ遺伝子ゆえに、二人とも過去にしがみつかないタイプであるらしかった。

そこ、京都府福知山で錐子は中学2年まで過ごした。霧の多いところで

脚気などという非近代的な病を得た。やっとのことで転勤となった先が熊本、

そこは何とか人並みに錐子の体を育てたのであったろう。

 

ホルモン増加のせいもあり、水と米が美味しい美味しいとおかわりをして、

ぷくぷくの女子となった。

そのあとは片思いの思い出ばかりに彩られた場所でしかなかった。

22歳で2年間広島で過ごした後、また熊本に戻り見習い就職、

次の新春に別居結婚という冒険が始まった。25歳。

ところが意外にも即妊娠してしまった。予想外という呑気さか、いや、そうでもない、十分に予防はしていた、その隙をついて長男が飛び込んできたのだ。

 

社会の計画通りに、正規の就職となった2年目の別居を、

熊本と神戸でさらに続けながら、上司から堕胎を強く薦められながら

万が一つも中絶に心は動かず、翌新春の分娩となった。

そして非難の中そのまま離職、大阪塚本で同居結婚生活へ。

 

そこで4年の時が移り、5歳と2歳の男児を連れて熊本へいわゆるUターン。

そこで4年の時が移り、9歳と6歳の子らと別れた。

その20年中18年という錐子の熊本の年月、そこに流れたのは、

初恋の情念とそれが実った充実、子育てと就業の葛藤(今思えば幸せの一種)、

自ら招いた別離の辛さという アップダウンの強い、いわば感情の津波。

一方、

新幹線で、大阪神戸間を通る時、まざまざと今度はそこでの記憶に襲われた。

ここをもはやこうして通ることもないかもしれないのだ。

まずは珍しく幸せな時間だったかも、振り返ると、神戸市長田区での新婚別居中、

学期の休みに短い同居、必死に料理したこともある。その甘い思い出。

長男誕生の後には、大阪市塚本での高層生活、

次男誕生後の神戸市垂水区で団地生活、合わせて5年弱、

いずれも育児時代のあれこれの記憶、それらはしかし

取り返しのつかない悲しみに彩られているけれども。

 

大阪には、しかし、全く別の時間も流れていた。

上記の関西時代より7年後、新たに5歳の子をつれてドイツから

舞い戻ってきた大阪府箕面市で、12年余りを経た時、

裏切りとモラハラを潜り抜け、ある程度気分良く自信もつけてきた時、

思いもよらぬ暗雲が道を閉ざした。真っ暗だった。

家族の介護も続いた挙句、さらに12年して大阪を追われたのであった。

 

こんなうちに、あたしの生涯の65年が過ぎたことだった。

残りはお遊びというか、

救いと真理の追求に費やす年数となった、らしい。

 

そこでの、千葉県での6年、ドイツでの6年、帰国して2年に足らない今、

振り出しのように熊本に舞い戻ったところだ。

変化したとは言え昔のままの場所もある、あたしを知る人で

街を歩いているのは少数かもしれない、でも必要もないのにマスク、サングラス、

もし持っていればつばひろ帽子、などして、目を合わさぬように、反応せぬよう、

ヒソヒソと歩くかのような自分もいる。

なにしろ、あたしの最も苦手をする特別な女性が、超能力者ででもあるらしく、これまで2度、ニアミス以上に近づいたことがあった、全くの完全な偶然だったのに。ええ、わかっています、謝って済むものではないけれどもすみませんでした。お詫びします。許すことができないでしょう。わかっています。こう唱えるしかございません。南無弘法遍照金剛 と、昔一度聞いて、また川崎太子で一昨日目にした祈りの言葉を並べてみた。

今日は実は、熊本市役所で困惑の体験と観察をしたのである。

 

十数日前に横浜市の区役所で体験した転出届騒動とは逆の、

転入届をしに出かけたのだが、熊本に転入する人がそんなにも少ないのだろうかと

思われたほど、4つの課の人々が、

カウンターのおそろいのグレーのカーデの若手女性、

後ろのスーツ男性も中年若年を問わず、

あるいは年配女性全てが お互いに確認し、訂正し、走り回り、連携を求め、

3時間かかってやっとマイナンバーカードが返され、

あとは医療保険と介護保険のハガキを待つのみとなって、解放された。

あるいは錐子のたどたどしい喋りの影響だったかもしれない。

今日はお一人で?ともちろん尋ねられた。

横浜ではついに筆談になったのではあった。その時しかし、対応した老年の

女性役人の確かさに驚嘆したものだった。経験と頭の良さが見えた。

 

ここで決定的だったのは、偶然に少し待ち時間ができた時、

未婚と思われる小太りの女性が、笑みを浮かべて、

「横浜って都会でしょう?」と憧れたように尋ねたのである。

「ええ、都会といえばそうですが」とあたしは困惑してうちの前の屋根の連なる丘を

思い描いた。あのような一寸の隙間も許さない、という家の建て方はごめん被りたい。

 

しかし、帰国してまず出会ったかの役所のシステムと流れと、

何よりも働く人々の、すべてがシック、地味でありながらセンスがよく、

髪の質と髪型が乱れなく手入れされ、中高の細面で化粧は目立たないがスッキリしていた。

その態度もプロフェッショナルで丁寧真面目親切正確というほかなかった。行動も制御されている。

それは病院の看護師も、売り子も同じ。つまりそれほど神経をすり減らしてやっと果たしているということかもしれないが。

それに比べると、それらの美点が目の前には全て見られない。もさっとしている。

トップクラスは都会に出て行ってしまったのか。

 

「あたしなんか熊本以外に出たことないんで」と彼女は笑って髪を触った。

「はあ、センスはいいですね、あそこでは」とあたしは言ってしまった。

よだれを垂らす婆さんが言ったのである。

 

しかし、不思議なのは、こんなあたしが結構な人の視線を感じることであった。

横浜ではトンとなかったそんなこと。

そうか、確かに、みんな黒い煤けた服を着ている。全国的な流行とはいえ、横浜の黒服とは違う。

でもねー

そうか、あたしは、センスのない代表みたいな薄ピンクのダウンを着ている、

中古屋で買った。それで横浜では一顧もされないが、ここではその色が目立つのかな、と

街の窓に映してみると、確かに、変な白黒のズボンを履いていて、

全くとんでもない取り合わせだった。

駅前の新しい空中通路で、美人富裕という白髪のご婦人があたしを見た、不審な目つきだ。

センスがいいなんて思われていないのは確かだ。

そう言えば、午前の食事を探して探して結局お馴染みの吉野家で牛丼を食べたのには、まいった。おかしくて。

しかも値段がやや安い、近所のおばさんが働いている感じ。

 

ちょっと感情が揺れてしまった、旅情の一種か。

 

しかし実は、引越しはとっくにあたしの思い描いていた成り行きにはなりそうになかった。

その結果がこのカプセルホテル8泊住まいである。特売みたいに安かったし、かなりセンスがいい。

いつホームに入れるかは未定、人の死を待っているのかもしれない。

あたしとしてはこのホテルでいいけれど、2DKのアパートを契約したと次男が言うしこちらの緑さんも

そこへ食事を運んであげると言う。敷き布団ないのだけれど。。。 

また貸家に住むという考えはなくて計画してきた。梯子を外された感じはする。

 

しかしそこでへこたれる錐子ではない。

自由はまだ欲しい。久しぶりに2DK生活、人を泊めることができる。新幹線がそばを走っているが、まだスピードは出ていない場所だ。全てをプラスに変えてみせる。プラスに看破するのだ。全ては最高のプランである。それを信じなくてどうする。

0122 この日に発覚した「安請け合い」に抗しての言:

一歩一歩意外な、というか失望はあるが理解はでき、じゃあ自由の世界へ!

最後の自由が必要だと言うのだろう、すべてよきことのみ、ハッピーラッキーおばあさん!

苦難の人生を歩むことは、キリストとは言わないまでもイエス的に影を背負って消し、

それを光に変える使命ある存在なのである、これで完了、世界とその不条理現象解決だ