20260330月曜日
前回のブログよりすでに一月近く過ぎたかもしれない、人生最大の変化を体験している。
ほぼ日毎に、おもしろい書き出しを思いついて、というか与えられて、
お、良いなできるかもとワクワクするのであるが、
そこをも過ぎてしまう。すると何であったかを完全に忘れてしまう。
まずは時間の流れを自由に使えない。3時間の集中は理論上可能だが、邪魔が入る。
どんな邪魔か。ルーティンとして
食事、血圧測定、ラジオ体操、入浴、レク(リエーション)、散歩、往診、掃除、清掃、シーツ取り替え、水戸黄門、とか。
と言い訳する間に、老人ホーム生活正確に20日が過ぎた。3月11日から。
その前は2月1日からすでに、通いのデイと食事提供が始まっていた。
その前は1月26日に来熊、まずはカプセルホテル五日間、次に賃貸アパートで寝泊まりしつつ始まった。
その前は、おおよそ24回目の引越し、横浜から熊本へ
すると熊本のコンテナから賃貸アパートへ25回目の引越し、
そして賃貸パートから老人ホームの一室へ26回目の引越しとなった。
それが、件の3月11日、
あの日2011年の千葉県に、あたしたち夫婦の引っ越したばかりの家が、
グラグラ揺れ、電線柱の頭が円を描いて回っていた時から、
15年が過ぎたその日でありました。
考えてみると、痴人たちの姿にルーティンの存在がわかってくるという
あたしの日々の積み重ねでありました。
そして彼女らはお互いに、人のことは認識していて、お互いに呆れたり、
嘲笑ったりするのも見える。それを何と受け止めるべきか、
つまりいわゆるまだらぼけ状態の集まりとも??
そうそう肝心なことを忘れていた、自分の部屋の変化が最大のテーマであった。
それが一応片付いた、落ち着いた、そして満足している、そこが核心。
部屋の成果を見ることを許可された次男が、大笑い、横浜の再現だと宣告した。
まずは、あたしのダンボール家具計画は、大失敗、
ドイツで7年保ったような堅固さはもはやダンボールには無かったのだ。
ドイツまでか、国内引越しかという移動距離の違いもあっただろう。
そこで、母子として人生最初のニトリで、見つけた素敵な木棚を、
人生初めて協力して組み上げた、うまく施設に運び込んだ、
ここが何より大切なところだ。
椅子ひとつ、引き出し家具ひとつをさらに借りて
理想の方丈が再び与えられた。
おまけに、亡母の手になる素晴らしい掛け軸を、ついにかける壁すら与えられたのである。
「余は満足じゃ」とこの錐子オババ、心の底から神さんに告げた、
その言葉は心から溢れ出た。
本日、3月最後の日に、ひとりコーヒーを愉しみ、シーツは交換され、
部屋は掃除され、使っていないクーラーの埃も払われ、
ハイビスカスの葉は茂り染め、好きな小物ばかりの並ぶ畳4枚ほどの部屋で、
ベッドにのせたマックを使っている。
テレビはあれどまだあまり機能していないが、どうせあまり見たいものがない、
それにも文句はない。
ただ、ひとりの、常に気遣いある人間でありたいルーティンに染まった90歳老女に、
常に正しい派であることを強要されて目下、困っている、「余り正しくない」あたし。
その彼女、ここがどんな場所か認識していないらしい。
「あんな風になりたくない」とよく言うので、「でもみんな病気だからねー」と、
聞こえているのか理解されているのか不明な、不鮮明な発音で、必死に短く述べるあたし。
病気であるという判断基準を広めることで、お互いの批判行為がセーブできるかと思ったのであるが、おそらくダメだ。何でも忘れ去られる。
他方、介護側の問題も感じる、現状維持が目的であって、より改善、より快適という視点に至っていないように見える。云々
(省略)
などと素人が軽々しく意見を述べていては碌な結果にならないだろう。
危険分子としてこの桃源郷から追い出されるやも、、
0401
そうだ、今日はもう「わたぬき」である。エイプリルフールではなく、綿入れから綿を抜いて着物として着る、季節、4月1日。
きのうは春の嵐、けっこう薄ら寒い、歩いて5分の六本桜がきのうはまだ二分咲きであった。テレビの世界では満開の桜の、ドローンを使っての人類初めての美のよろこびを
伝え続けている。
自分の症状について、苦にはしていないが現実的にはかなり困ってはいる。
手足については、暇に任せて、つまりぼーっとみんなで席に着かされている間、
絶えずあれこれストレッチして恥ずかしがらない。
そんな自在性は獲得したみたいで楽しい。むしろ、ぼんやりと善良な
痴人たちにとっては、変な無口な大きな人のワンマンショーであるかもしれない。
みんながぼんやり見ているあたしの外見はこんな具合かな:
坊ちゃん刈りの頭、猫のあれこれのブローチを見せびらかす癖ありの、前歯の欠け、
ハミガキ好きらしい、メガネを首にかけ、時にそれを専用の布で拭く、
こっそりコーヒー買ってもらってる、
新聞や短歌雑誌を堂々と読む(読み書きゼロが普通)、
おはようもありがとうも満足に言えない(発話機能は例外を除き普通が多い)、
満杯のすごい部屋をしつらえているらしい(必要量の衣類も管理されているのでガランとしているのが普通)、
散歩に行きたがる(できればドライブが普通)、
そうでなければ室内を矢鱈と歩き回る(席に座っていないと危険とみなされるのが普通)、
食事はおかゆ、刻み、とろみつき、錠剤をゼリーで飲む、
昭和の猫飯のごとき味噌汁かけご飯を、スプーンで食べる幼稚さの、
ストローでピルクルを飲むにも難儀している、
鼻をかみ涎を拭くためのハンカチを胸に垂らす、とっぴな声でずれて歌う、
時に喋ると、聞こえない認識されない誤解される無視される(メモを渡すことになる)、
何も発しない、発しても理解されない、聞かれない理解されない、
そうか、あたしはここに存在しているけど、存在感は外見のみか。
社会から脱落した者、と自分を判定できた、けどやはりちょっとショックではある。
ここの外界からすら遮断されている。
ちょうど今日のこと、幸いにもというべきか、福祉タクシーなるものが
存在すると知った。15キロほど先の小さなコンサートに行きたいと1年以上前から
考えていた。フォーレのレクイエムが聞きたいのだ。もちろん福祉タクシーは自費。
あたしには、何ら特別な介護はいらないとは言え、きっと1万円近くかかる。
施設には責任問題が最も恐ろしいことなので仕方ない、あたしとしてはバカらしくはあるが。
===錐子専用形而上学 によるメモ
0310
エラーとはよく名付けたものだ、我ながら。
真正鏡像からのバグ(重力の影響?)、真相がこんなものであるはずなし
0312
エラーはあるべき波長が欠けたことによる現象で、多分摂理の意図にあらず、では何?
いつも信心が喚起されているのかな? 実相への信心が?
真正鏡像は思惑なき姿と構造を持つべき、そこに意識が生じるのは不協和音になった時。
麻酔されて、意識不明が正常ということになる!
(最新話題の、脳内微小管の量子的振動の意識との関連の意味を、麻酔現象との関係から解き明かそうとする学説による)
0314
幻像界の方法に従いながら真正界を認知することも可能かも。とりあえずやはり幻像体なのでその努力を受け入れようと昨日は考えた。
0317
こうしてあたしが生かされている専用のシステム、だけど
それに対し有難うと感謝できるような状況を構築することが、各自の仕事かもしれない、そういう見方もできる。
重力によって曲がったり歪んだりする所にネガティブが見えるだけなので、
本性は善なので、そんなものは無視してよし。重力の影響は物質存在の必然らしいが、、、それ以上の意味があるかも、と科学はまだ迷っている。



