霜月尽か、と見上げる空は小春日和の夕暮れ、やっと薄雲に覆われた。
この日々のありがたきかな、足元には、
ピンクのはずだったのに白いブーゲンビリアが咲きこぼれてアタクシ錐子オババ、
つい笑顔になる。ちょっとがっかりしつつも。
1週間前から新しい備忘録帳を使う羽目になり、しかし前回と同じ帳面は見つからず、
白紙の束を使うことになった。どれほど自由になるだろう、と横線すらない
荒涼とした平野を迎えたのだが、少しは規律のあったこれまでと異なり、
全く秩序なく散らかるばかり、下手なイラストを描いたりする。
まあなるようになればよし。
そうそう、あたしの運命、どうなったかというテーマがあった。
ゼロ、まだ遺伝子検査の結果なし。
忘れないよう、また無駄な時間を取らないようにと症状を書きつらねた紙切れを
医師に見せた。それを全部パソコンに書き写していく若いドクターむぎた。
ふと思いついて、先生の予想ではどちらでしょう、と尋ねてみると、
意外なほどあっさり「脊髄小脳変性症」と賜った。
遺伝性と孤発性と2種類ある、いずれにしろ余り解決策はない。
悪化するのみの対症療法のみ、面白そうと思うあたしはおかしい、
けれどそう感じてしまう。
そこで今日は、気まぐれにGeminiを呼び出して最新の研究報告を頼んだ。
日本での2018年以降の研究進展についてはネットでは得られなかったと
告白するので、またこちらの結果がわかったら相談しますから、と書くと
ハイハイという感じ。こちらもハイハイ。
自分の症状やこの成り行きからして、引越し、不用品処理、どこに頼む、という課題に
忙殺され始めた。
ネット上ではひたすら便利そうに組み立てられているが、こちらは振り回されるのみだ、
しかも全てのウェブが安さと便利さを謳っているわけで、、、つい引きつけられる。
早速エラーあり。A 社に以前から頼んでいた、と思って見積もりに来させたが、
その後すぐに思い出した、実はB社であった!
こんなことも間違えるとは、少しがっかりしてしまった。
完全に一人ではしない方がいいようだなー
取り止めもなく今月のことを考えている、方針としては
横浜体験を積んでおこう、という思いが強い。
それで元気に任せて、10日:小さなオカリナ演奏を聴きに行き、
11日:安いフレンチを食べに行き、
14日:朝早くから「福知山線列車事故」についての話を聞きに行き、
20日:お寺でのこども食堂に参加した。帰りがけに、靴を履き杖をついて、
石畳を一歩降りた途端、体が左にぐらっと大きく傾いた、そこに大きな水がめがあった、
そこにバッシャアンと、落ちるかと思った、危なかった。そう言えば、11歳ごろ、
学校の脇の小川に真横に墜落したことがある。ずぶ濡れだった。
22日:珍しい二人の男声コンサートに行くと、ロシア人の若者がバリトンであった、
久しぶりに若い白人を見て年甲斐もなく胸がおかしくなったので驚いた。
50年前の亡夫が想い出されたのだ、あたしの恋した、というよりあたしに恋した、
という彼の気持ちが沁みたのである。それはロシア人が愛の歌を歌ったせいでもあろう。
23日:突然近隣の平塚市に行った。曇り空を押してみどさんと
行き当たりばったりの冒険旅行と称して出かけたバラ園みたいなところ、
そこで大笑いした。お昼に出店のようなところでポップコーンと
チーズフォンデゅを頼んだところ、はい、と渡されたものが変すぎた。
今から温めないと食べられないという作りである。
シンジランないと文句を言いに行くと、後ろでバーベキューができるので
自分で温めてください、と。その時には店主がオババ二人のところに飛んできていた。
なにしろ、若い家族連ればかりであった。ポップコーンのアルミの皿を火に炙り、
チーズはまず溶かすのである。二人してゲラゲラ笑った。
あたりにはシャボン玉が漂っていた。
27日:江戸後期に川を使った交易で栄えた千葉の佐原にバス旅行をして、
伊能忠敬の業績を見た。それでバスに乗り遅れそうになったが元々興味はあった。
さて28日:またオカリナ演奏会があった。例のお寺である。
終わって階段を降りようとすると、左足が痺れていたらしく右足とぶつかり、
杖も滑って、そこに尻餅をついていた。
数年前も同じことが起こった。今回も平気だったが、
余り自信を持ちすぎると危ないなと反省。
29日はダブルブッキング、朝、どう克服しようと考え始めると、
どうも頭痛など始まっている。こういうこともあろうかと買ってあった
葛根湯を服用するも、とても出かけられる状態ではない、ここ戸塚という
宿場町の歴史についての集会には無理、諦めて全く無為の1日を送った。
食べる気もないし、食べるものもない、ちょうど痩せるにはいいだろうと思いなす。
最近お腹ばかり膨れているので。
そして、30日:今朝はやはり頭痛で起きた、そこで窓を全開、空気が悪かったのだ。
外は13度くらい、葛の葉が黄色である、栗の葉?も見事に黄葉した、もちろん銀杏も。
心地よい冷たさで、回復。朝風呂に入るともう万全の気分である。洗濯、床拭き。
こんな楽しい、忙しい、ちょっと危ない日々である、ありがたい。
ところで、恒例の錐子流アイデアはちょっと酷い、理解されないだろうけれども、まあ。
15日:
肉体の滅びた後、小さな意識である自分は「自分たち」になるだろう、それは不思議な感覚かもしれない、しかしきっといい気分のはずだ、みんなに告げよう別れる時に、あたしはみんなになるからねーバイバイって。
24日:
ブラックホールの中に落ちて物質は消滅する、というか無限にまで圧縮される。しかし彼らの幻想、つまり解釈すれば、その反射である幻想の形で真相は情報として残る、
これが全一システムの計画だったかも。
劣化幻想から真実の姿を3Dにして認識すること、喜びである姿として、かな?
話は飛ぶけれども、
近年認定数が増えている、いわゆる発達障害について明るい話を聞いた。周囲のおおらかな反応や励ましは重要だとして、単に3年分くらいゆっくりと発達しているのみなので、やがて脳が完成するのだという。そりゃあそんなこともあるだろうさ。
さて、あたしの頭の中では混乱状態が続く、これは治まらないのだろう。
人に怪訝な顔をさせるほど口がもつれ、前歯に隙間ができ、涎を拭きながら、フラつく存在になるとは、なあ、とびっくりして思わないこともないが、
一つも不幸を感じない、花一つ、笑い一つでけっこう結構、
あたしゃ鶏年なので コケッコウだね!
〜〜〜〜 短歌もどき 〜〜〜〜
銀の富士見つつ死なまし香り立つ躑躅(つつじ)のふとんに ここにたふれて
パチリとぞ切り取る時空 再びはあらざる全て稜線尊し
温かく居たりし人は量子とし在るめり 永遠の命担ひて
いつの日も美しかりき今よりも 老醜の朝鏡の諭す
忘れもせぬ十六の夏 面影に愛を叫んだ排卵日の情
細胞さん謎のスクラム万全に 皆さん元気に巨人をよろしく
ひとひ無言家事のひとつも為さざりき 遂に気付きてひとり笑ひぬ
閉ざされし家影慕ひ彷徨へる遠き我が身よ 夢にまた遭ふ
慰みの塗り絵の虹の不可解の黄を いつからか次第に好む
はつ夏の長良川鉄橋写されて テレビと老の想ひ漂ふ
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