まずここから:3月3日の心の動き

今夜は雛の祭で、皆既月食だそうだ。赤銅色の姿がほとんど全国で拝める。

きさらぎみそかは惑星並列という珍しいことが起こったというので、

アパートのベランダに出てみた。真上に十夜月があった。

 

ぴったり真上にあるので、首が折れそうになるのでちらとしか

見ることができない。こんな呆れたことが起こるとは、と内心で

舌打ちしつつもその月の酷薄、とでもいうべき強力な光と白さ、は

ただごとではないという感じを しっかりと受け止めた。

月の感情がこもっていた。

金星は見当がつくが、それ以外はこの肉眼では無理なので放っておいた。

あくまでも澄んだ青い夜空と 白以上に白い輝くもの。

 

0304水曜日、この日は盛りだくさんに頂いた。

施設の昼食の後、

ラジオ体操1と2を懸命にやり、雨が上がって日差しが室内を明るくしたので、

あたしはウロウロし始めた。

事務室の副理事兼旧友に「散歩したいわあ」と友人兼被介護者として呟きに行った、

すると鶴の一声、たちまち働き者の実直さんが出動となった。

いつもブツクサ言い始める時間となったかごっまおごじょ(鹿児島女性)も

平安美人の面影を残す静かさんも加わり、あっという間に

訳わからないうちに連れ出されて、

「車は?」「歩きタイ、」(熊本弁=だよ)「20分間でいいですから」とこれはあたし、

水仙や仏の座の茂る庭から、公道に出た。あたりは畑、誰もいない。

 

隣の小さな社で拝礼、昔このあたりが海だった名残がそこの名前に残っているという。

桃、薮椿、ボケ、乙女椿、さくらんぼの花、そしてまんじゅう桜など次々に鑑賞、

かなりの強風なので、おごじょが「もう帰ろう」とすぐに弱音を吐くが、

その他に無視されて引きずられていく。

すると何と畑の真ん中に幼稚園があった。

手を繋いで婆さん達がのろのろと不規則に来るのを、ガラス越しに見た園児達が

一気にそこに集まって、わ、人間だー みたいに物珍しげに夢中になった。

こちらも わ、子供だーと喜んで大変な手の振りよう。

四方八方、麦ばかりが20センチほどに緑濃く畑を埋めているのみ、

全く人影がないのである。青空に雲もない。

 

桜の下で写真を撮る、マスクははずそうか、となる。

食事時以外、顔半分での付き合いである。とつぜん下半分が現れると、

その変化に驚かされる、みんな激変する、良くも悪くも、ともかく驚かされる。

あたしも含め数人だけがマスク不着用、全顔をさらしている。

 

こんな世界が脳の認識機能にどんな影響を、はたまた新生児にとって

顔半分の人間はどんな影響を与えるか、ひとりで心配してしまう。

何故かマスクなしでも文句は言われない、いかにも喋りにくそうにしているせいだろうか、とりあえずノドヌールスプレーで消毒する、うがいはもやは不可能だが、

これはできるし時たまの喉違和感には効き目抜群。

 

二つ目:

毎日困っている左目のぼやけ、両目で見ると距離感が消える。

右目ひとつしか役立っていないからだ。

日光も、見ることも目を開けることも辛い。

また、大腸内視鏡の写真にもがんではないが問題が写っているので、

脳神経内科以外にも初診が待たれるのだ。

そのことを相談するうちに相手の口にのっとられてしまって、結局言いたいことの半分、

ないしは間違って理解されるという始末になる。

 

そこでついに、上記のテーマを紙に書いて、可愛く有能なケアマネさんに手渡した。

その行為が思いがけず、早期の入所決着を招いたようだ。

3月11日より長いショートステイ!! 誰かが亡くなっての空室ではない?

 

しかしそこにも次の介護認定に左右される重大な問題がひそんでいる。

年末の介護度更新が裏目にでたら、施設から出て行かねばならないのだ。

また引っ越し! どこまで風来坊か、

少しの支援なくばいつ命にかかわる危険すれすれの生活となるか(特に誤嚥)

そこをわかってもらうのは 特に喋れないと一層難しいだろう。

単純に、トイレまで行けるか、食べられるか、入浴できるかの設問では掬い上げられない。

 

夫を介護していた時、重病なのに家の中で階段は無理でもトイレまで歩けるというので、危うく最低の介護度になった。

検索したところでは、介護認定されていなくても軽費ケアハウスという、

半ば自由な施設もあるらしい。しかし稀なのだが申請しておくのもいいかも。

家なき婆さんになる。

 

もう一つの目玉は、医療保険を二つの市で二重に取られているのが発覚したこと。

電話したいがそれが無理だ。

(横浜に電話、二重にとられていると見えるがそうではないと。親切な女性だった。3月6日 記)

 

もうひとつは、せっかく引っ越ししてきたのに旧友たち、全く時間取れなくて

まだ会えていないのを、かなりがっかりしている自分がいたのだけれど、

どこからそうなったかは不明ながら、自然にふっとその拘りから解放された。

お任せ方式でいくことにした。

心がかる~~くなった。よくやったゾ、錐子ばあさん。

さ、明日から再度の、願わくば最後の引っ越しに集中しよう。 

 

その明日、である3月6日金曜日

朝からかなりの雨、雷すら轟いたので、すわ、と思った。

まず、大事にしているものが壊れるというジンクスをもつ錐子なので、当然、

例のプリズム水晶体をコンクリートの庭に叩き落としてしまった。損害は大きいな。

しかし十分に大きく硬いのでこわれてはいなかった、雨に洗われて一層透明になっていた。やれやれ。

 

思案した挙句、やはり傘をさしてでかける。コンビニまで、

となりのコインランドリーで、純毛の手編みのセーターを縮ませて

フェルト生地がつくりたいのである。高価な毛糸だったので捨てる気にはならない、

とは言えほどいて何かを編むのも退屈、というか目力がもうない。

 

立派なランドリー設備がならんでいる。もうカプセルホテルで経験済みだ。

硬貨を集めておく。さあ、4枚入れて洗濯、と意気揚々と投入した、しかし戻ってくる、

何度か試すがころっと戻ってくる。無理に押し入れる。

あ、ここは返却口だ、上にもう一つ穴があったのだ。

何の苦もなく、入っていく、苦笑い。

30分湯水で洗わさせる。乾燥機も40分たっぷり。ひょっと壁を見ると張り紙に、

純毛や羊毛を入れないでください、とある。まあ縮むせいで避けたいのだろうが、

こちとらそれが目的なのでごめん被りたい。カメラは監視しているけどね。

 

この間に、時間潰しでコンビニを点検して回る。のどぬーるがあった。

この11日から本式の泊まりに入るので、目についた必要そうなものをカゴに入れていく。ブラ兼肌着というのが 何とか体に合うので2枚目を買おうと思った。

焼き芋も夜用に注文、レジをみると6千円をこえている、

あ、そんなに持ってきていないのに気づく。ここのイートコーナーの常連である

お婆さんのあたし、途方に暮れていると、担当の女性がブラを取り去った、

いいですか、いいです。と4枚の千円札に収まった。

やれやれ。苦笑い。

 

セーターの出来上がりは、上質すぎたのかあまり縮んでいない。

いい香りがしてふわふわだ。

荷物が重い、傘をさして、車に泥をはねられないよう計画的に進む、

向こうもちゃんと気を遣ってくれる。

それにしても頭の中は引っ掻き回された感じ、首が重たい、足腰も痛む。

もう少しだ、励ましながら人間のいない田舎道を進む。

 

洗面所でクリーニングに出すべきものを手洗いする。水浸しのまま

浴室のあちこちにかけておく。雨の日に洗濯はよろしくないが

今日しかこんな仕事をする暇がない。

今日の本来の仕事は、再引越しの準備である。

さあ、引っ越しをいかに進めるかが次の問題、頭の体操。

 

段ボール作戦はお馴染み:夏服、ケア製品、重要な書類と思い出の品、

リサイクル手仕事予定の古布材料、これらは施設で部屋の戸棚の中へ。4箱

表に並べられるもの:引き出し(文具と薬など)、CD、スカーフ入れの箱、ランプ。これらは真面目なもの。

他にお遊びというか、目の保養というか、仏壇兼玩具棚、2個、

プラス高さ1メートルの木箱(目下 辞書、本、小ダンス、古皿など)がある。やはり段ボールに入れ直すのだろう。?箱

あとは、寝具を布団袋に入れる。クッションも。

テレビと書見台、鏡、スーツケース、額縁、靴、傘、棒 

これが仕分けだね。

 

急に過去に戻って 2月26日木曜日

ドクターTの初診に出かける。連れられて、2人の付き添いつきで!

遺伝子検査の結果、まだである。あたしは何か、興味深い、難しい症例らしい。

あたしが思うに遺伝的と孤発的と混ざってるのではないか。

次の予約では息子と最後のケアをどのようにするかを決めてくるようにと。

全くショックを受けていない自分がいて、それで何とも思わない。悪化はしている。

 

一方現実の新生活だが。一月経過して、、、、

痴人と常人、それぞれの異なった付き合いとなる。それも面白い。

喋ることはできなくなるが、それだからこそ何か喋る時は特別な時間となるだろう。

みんなあたしに優しいと感じる。みんなが好きだ。

そして、生活に時間を取られないので、ぼーっとしていないでその時間を有効に使う。

人生のデジタル的まとめ。心身を整える。研究をさらに続ける。みんなを愛する。

 

物理学者たちの見解、デジタル生活での情報:

You’re not toucching matter — you’re interacting with forces.

                            cankay koryak

 

0228 Hameroff

複雑さの増大の最大の原因は、生命そのものではないでしょうか。特に意識を持つ生命ではないでしょうか。複雑さの法則という想像上のものを呼び出して生命を説明するのは、まさに本末転倒です。

 

しかし、生命を駆動するものは何で、その起源を引き起こしたのでしょうか? その答えは、おそらく意識的な感情、例えば快楽的な報酬でしょう。人間や動物の行動をさまざまな方法と時間スケールで駆動しているのは、まさにそれではないでしょうか? もちろん、ほとんどの科学者は、意識が脳や神経系の複雑さと計算から生まれたと仮定し、生命が数十億年にわたって感情なしで進化したと考えています。しかし、感情がなければ、生き延びて繁殖する動機は何でしょうか? 機能や情報を最適化する…そんな面倒をかけてもいいのですか? 意識が根本的なものであり、有機的な芳香族ドーパミン様分子における波動関数の基本的な量子崩壊(Penrose OR)によって引き起こされる可能性が高いでしょう。そして、感情が生命と進化を駆動したのです。

私は、意識が根本的なものであり、生命、進化、複雑さを駆動すると 言います。

「All you need is love」、そして原初のスープの中の快楽的な感情。

 

0221 名前失念、「物理学の基本法則によれば、宇宙は単純に存在すべきではありません。ビッグバンは物質と反物質を等量に生み出すはずで、それらは即座に互いに消滅し、エネルギーの虚空だけを残すはずでした。しかし、私たちは物質が支配する世界に生きています。数十年にわたり、科学者たちは物理学の「聖杯」を探し求めてきました。それは、私たちの宇宙の構成要素に内在する非対称性の証拠です。今、CERNの大強子衝突型加速器の研究者たちは、陽子や中性子のような粒子—私たちが呼吸する空気から遠くの星々まで、あらゆるものを構成するバリオン—で、この「鏡像を破る」振る舞いを、ついに捉えました。」

 

錐子オババの見解〜〜〜と言うより、どんな質問ができるか、という視点

0228 かなりの体験を聞いている。最高の香り、美しい花畑、天上的美味、何倍もの愛欲、くねくね体操。実相界を推測させる欠片はだいぶ集まったのだ。初めてこれらをまとめて考えられた。

 

0301 鏡には不用の光(植物の光合成では緑色の波長は不要なので、それが放射されヒトの視神経がうけとる)のみが反射してくるので歪む。生きた猫を観察する、振り向けば死んだ猫が見える、ふたつの現象の間にある意識(これが謎)、それをも模したのが脳のシャルター機能によるヒトの意識?

量子的規律性が壊れた時にヒトの意識が生じる、というのがヒントだろうが、