はい、オスティヌスが帰ってきました
かれこれニョアは砂漠を越えて山の寒さにも耐え出会ったわけですが、
カルカン焼き鳥味を食べてたのをオスティヌスに見つかり
気が付いたら教会にいたようですwww
ニョアはオスティヌス覚醒フラグを立てやすいし
ちょっかい出しに行った成れの果てですから
なんともいいようがないですね
余談ですが、本家のカルカンにはターキー(七面鳥の焼き鳥)味が実際に売られています
(しかも2011年秋登場の新作カルカンであるwww)
http://kalkan.jp/products/adult/a_pouch.html
さて、ニムシュ山には興味深いことがあると以前書きました
まずは私が編集した元ネタの「ギルガメシュ叙事詩」と「アトハラシス叙事詩」
をご覧下さい
http://ameblo.jp/na2sif6/entry-11027485841.html
この叙事詩があるお話と似ているのをお分かりになりましたでしょうか?
・・・そう、これは旧約聖書の創世記の一節
ノアの方舟の元になったお話なのです
成立時期について触れておきますと
ギルガメシュ叙事詩は紀元前12世紀頃
アトラハシス叙事詩は紀元前2000年前
そしてノアの方舟は
となっております
つまり、聖書がかかれてから少なからずとも1000年昔にはあった話なのです
ここでギルガメシュ叙事詩と
アトラハシス叙事詩のメソポタミアの洪水神話と
ノアの方舟についての比較した時をしますと
・神が人を滅ぼす為に洪水を起こすことを決める
・一人だけに起こすことを伝える
・舟を作って逃れる(しかも舟の設計も似ている)
・舟から鳩を放して陸地が現れたのを知る
・神に生贄を捧げて終焉を告げる
といった所が同じ部分にあります
一方メソポタミアの洪水神話と
旧約聖書のノアの箱舟との違いは
洪水を起こす起因について大きく違いがあります
ギルガメッシュ叙事詩やアトラハシス叙事詩では
洪水を起こしたのは神々の気まぐれで無計画です
(ギルガメシュ叙事詩ではやった神々達がパニクったり、
起こすことを決めた張本人が批難されている)
人間側の非はそれほどありません
一方ノアの方舟では
絶対的な神の名において執行された計画的な天罰です
また、「地上に人の悪が増し、常に悪いことばかり心に思い図る」と
人間側の罪をしっかりと明記されているのです
これは神の在り方についての違いで
メソポタミアではギリシャの神々や日本の八百万の神のように
沢山の神がいて同じ宗教でも各々に神を選んで信仰をしているのに対し(多神教)
旧約聖書を使うキリスト教や
ユダヤ教、イスラム教では
神はただ一つのみ存在し、同じ宗教で、同じ神を崇めているのです(一神教)
このため、聖書を書き記す時に統合性をとるのと神の威光を高める為に
この部分が大きく異なると考えられています
ここからが本題
物語の主人公の名前を見てみると
ウトナピシュティム=アトラハシスという扱いが出来るということ
そしてノアはヨアとも言います
同じ洪水神話の話とみた場合アトラハシスとヨアは同一人物の可能があるのです
ゼクトバッハ叙事詩でヨアといえば、ルエリシアを創った人です
(最近では素っ裸が独り歩きしているみたいですがw)
叙事詩の根底にいる人がさらっと出てるわけです
アトラハシスの鳥使いがヨアであり
方舟を捕らえた山と同じ名を持つニムシュ山
そして、人がリセットされた様を記した洪水神話
このイゼルニアには物語の始まりが隠れているともいえます
メソポタミアの洪水神話から照らし合わせをすると
ニムシュ山には鳩や燕、鴉をはじめとする鳥類が多く生息しているとあります
例に上がっている鳩、燕、鴉はギルガメシュ叙事詩でウトナピシュティムが
洪水が終わったか確認するために放った鳥たちです
また、ウトナピシュティムは地上に降り立つ前に全ての鳥を四方に放したと
ギルガメシュ叙事詩の粘土板にあります
ニョアの手記内で関連ありそうな伝承を集めてみますと
・手記44の空を飛ぶリスタチアの話
・手記48にある空から来た創造主
・手記76のイゼルニア付近に伝わる鳥の伝説
などがあります
これらからも鳥の大群はリスタチアの一種を表しています
よって鳥たちを制御できたアトラハシスはヨアの可能性が高いです
もしかしたら、空舟の遺跡が本当に空を飛んでいて
それをヨアが操縦していたのかもしれません
鳥たちを解き放つのはリスタチアを拡散したこともあらわしているのではないでしょうか?
古代8種族全てが荒れ地のど真ん中にある空舟の遺跡に向かえるとは限らないからです
(水にいたマーキュリナなど)
また、ニムシュ山は洪水が引いて最初に現れた大地です
最も清められている土地といえます
そこを中心に方舟にいた全ての種が降り立っていきました
彼らは生き残った数少ない生き物達です
リセットされた状態の全く知らない土地に過ごすので
ある程度数が増えるまで守る必要がでてきますね
何処から行っても容易にたどり着かない辺境の地であることや
大地にまであるイゼルニアの障壁は
生き物を残す為にあえて作られたものではないでしょうか
環境を作り出すのはルフィナ種がザッカドニアの地下遺跡で成功させているので可能だとおもいます
その証拠に子孫のオスティヌスは鳩から炎を纏う不死鳥になります
ニョア曰く、こんな姿をするばけものはアリアテラリアの中でもオスティヌスしかいないという話です
この話から、アリアテラリアに元々いたのが進化したと考えるよりも
外部から持ち込まれた種族の出と考えるほうがつじつまが合うからです
そして、アトラハシス叙事詩には方舟に技術者を乗せる行があります
アトラハシスは王様で、彼らを口説き説明する台詞もあります
これはねこむらのアムリナ達や
霧隠れの里にいるアムリナの従者をあらわしているのではないでしょうか?
言うなればヨアがトップで、アムリナやアムリナの従者が部下というわけです
ここからは想像でお話しますが
ヨアはリセットされたアリアテラリアに向かって
飛行機をつかって方舟を作っていたのに
方舟が墜落してしまったと
標高が高かったニムシュ山を目指して脱出
この地を拠点として種族間接的に繁栄させにいった
という雰囲気かと思います
というわけで今回はここまで
ヨアについては全く分かってないので自由にオノレコスモれる相手ですね
アリアテラリアに実際にいるのか、
はたまた空想の外側の世界で笑っているのかよくわからん!\(^o^)/
ヨアはRistacciaでは素っ裸で堕ちてぴかっと光る赤いシーンのカット
Raison d'etreには寝てるルエリシアのカットの次に一回と不気味に笑う口元
そしてヨアの手記にいます
野となれ山となれで
ヨアは素っ裸で不死鳥のポーズをしながらキラーンと輝いていればよしですw
今回は元ネタの探求で興味深い世界が開けたのもあります
アトラハシス叙事詩をみていると
不完全とはいえゼクトバッハ叙事詩がちゃんと残ってるのが有り難く感じました
本物の叙事詩を扱うとこんな感じかとしみじみしながら読んでいました
アトラハシスもウトナピシュティムも王族名簿に載っているそうです
歴史を伝えていくのもこんな風に彩るのもありなのかもしれません
きっとこの洪水神話を聖書に書いた人は
アレンジするのに苦労したんだろうな
ある(と思われる)歴史を伝えつつキリスト教に沿うようにしないといけないのですから