豪華版絵本考察Ⅱ この世の数と塵 | Liber Kukulcan

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いつの間にかZektbach考察が主になっちゃってたブログ

過去の考察をお読みになる際には
更新された日付に基づいて書いているのでご注意を

はい、考察ラッシュしてます!!!
というのも、Zektbachオフ会の人の集まりのため
只今の参加人数は7人!
残りは3人!
締め切り間近!!!(8月31日まで)


さて、今回はEPIC Ⅱ「EVOLUTIO」を触れます


なお、KONAMI及びZektbachとは関係なく行っており
以下の文は「非公式」です

「The Epic of Zektbach豪華版」の付属している絵本の内容に触れます
よって、この絵本を持っていること前提に書いてあります

以上の事を了解したかたのみ
お先に進み下さい


・・・宜しいですね?
では、参ります!!!


今回扱う「EVOLUTIO」
この「EVOLUTIO」はぱっと見た感じ、
「進化」と意味を持つかと思いがちですが
厳密に言うと違うんですな
これはラテン語で「巻物を開く」という意味があります
時代が経つことにつれ
巻物をどんどん広げていく様から「(劇などでの)時間的な展開」
そして、それが英語になって
進化を意味する「evolution」へと繋がるわけ

よってこの「EVOLUTIO」には「時の変化」はあっても
「進化」までは意味を持ちません
むしろ文献によっては「巻物を開く」のほうが強いぐらいですな
ここでは「時間の広がり」と捕らえてみたいと思います


さて、文章のほうに目を向けますと
リアンがヨアに向かって語りかけてます
内容は「数」について
Σ様はリアンを超越者にしました
Σ様(ルフィナ種)がリスタチアの謎を解明してもらう事を望んで
リアンに託されたものです
で、この超越者の力は具体的には「ものを数にする力」
物体を数値化して、そこにある方程式などを解くことで
ものを動かしたり、変化したり
そして本質を理解したりします
その力を発揮して空舟の遺跡の巨大扉を開けてます
(ゼクトバッハ叙事詩第か2章第5節第4話「すぎたる知と武」より)

で、リアンはこの世を「数」で現すことの無意味さとかを悟ったと・・・
このリアンがいう「数」とはなんぞいな?ということになりますね
まずは数学的な観点からの「数」から説明致します


「数」とはりんご1個と考えた時に「1」の部分の事をいいます
たとえ、みかん1個であってもニョア1匹であってもオスティヌス1羽であってもオスティヌスがぶっ放したチェスの回数であっても
この「1」という数は変わりありませんねw
これが「数」の理念


この「数」を元に論理だてて、
あらゆる事を証明したり発見したりすることを「数学」と言うのです
他にも出発点は図形(三角形や立方体)とか
関数(所謂グラフ)とかを使います
今ではその中で培った定理や法則を含めて
「数学」と称している節もありますな

なお、数学者の美学についてですが
いかに本質的な概念や定理などを得て、
いかに体系的な数学を構築するか・・・かな

感覚的な話なので具体的には言えませんが
「博士の愛した数式」が読んだ中で一番分かりやすいかなw
特に純粋な数に対しての美学が遺憾無く書かれてるからね
個人的にはオススメです!


さて、話を元に戻しまして
改めて本文のほうへ目を向けます
どうやらこの世界は「小さな無数の塵」で出来ているようです

この塵には意味を持たないことが特徴
先程の数の概念に似てますな
つまり、「1」ということが元々からあり
そこに「りんご」やら「みかん」やら「オスティヌスが吐いたチェスの回数」などの意味は、
我々がつけた「跡付け」に過ぎない
・・・という感じ

以前にもこの小さな無数の塵は文章にありまして
リアンが超越者に覚醒した時に見た映像にあります
(ゼクトバッハ叙事詩第2章第4節第8話より)
以下、その部分です

やがて、その光景もすべて0と1の数字だけになり、それも消えると目の前は真っ暗になった。
闇の中じっと目を凝らすと、小さな無数の塵が不規則に漂っているのが見えた。
その塵の一つが光り動き出すと塵全体が意思を持ったかのように規則的に動き、やがて闇を光で埋め尽くした――。

・・・ここから、この塵が何らかの力で動き出すと規則をもち
新たに物事が生まれるようです
また、この塵は集まる(?)と数字で「0」と「1」をもつ事も分かります

数字の「0」と「1」の組み合わせは二進法の表しかた
数字を2種類で現す方法
また、コンピュータで使われる数の表しかたでもありますね


これを踏まえて塵の正体を考えると
今のところは「全ての元」といったところ
生み出す前のものなので
そもそも意味はありませんな

そして、これはコンピュータの考え方に繋がるわけ


リアンはこの塵を見たこの世界の初めての人で
世界の真理、つまり始めから意味を持たない事に気がついたわけ
人は本能的に意味を求めているということではないでしょうか?



・・・本日はここまで!
ここの章は理解に苦しんだ
私は「意味」を求めてこれをやってるわけですから
おもいっきり逆行してるわけで・・・(^^;)
リアンのように超越者になれば
意味を求める必要が無くなるのかしら?
なって、全ての真理を知りたいわ・・・

さて、上の本文に書こうかどうか迷った考えがあるので
この場を借りて紹介します

この「EVOLUTIO」を叙事詩に当て嵌めた場合
ありえない事が起こりますw
「EVOLUTIO」は真理に触れているので
超越者の覚醒前になります
具体的には第2章第4節第8話以前です

そして、問題なのはここから
「EVOLUTIO」の最後の文
ヨア、君もきっとそう思ったのだろう
・・・というやつですね
過去にリアンの口から「ヨア」が出てきた時、空舟の遺跡の真っ只中
ヨアの手記を読んだときです
この時は
『ヨア…この名前は初めて見るようには思えない。
なにかとても懐かしい感じがする…。』
という風に書かれてる・・・つまり、リアンはヨアという名前がこれが初見だったということ
その後でリアンはシャムシールでばっさりいって、倒されちゃいます

しかし、この「EVOLUTIO」はヨアという存在を知った上で語っているのです
これが本当ならば、リアンはシャムシールで死んだ後で
ヨアという人を新しく(あるいは詳しく)知った事になる・・・
まるで幽霊みたいに彷徨ったみたいにねw

年表でも「倒された」であって「殺された」ではないし
シャムシールにばっさりいった時も意識が薄れただけ
シャムシールが死を確認したわけではない
つまり、叙事詩の中でも「確実に死んだ」とは言い難いのですよ
リアンは辛うじて生きているとも考え得るわけ


とかく、この小さな矛盾がすごいことを生み出したのは間違いないわ・・・
なんかZektbach殿にミスリードされてるみたいwww
解きがいがあるわん♪(o^∀^o)