今日はちょこっと思い出話を一つ
私にとって12月18日とは高校時代のとある人の誕生日だったわけでして
いっつもこの日を迎える度に
彼女はどうしているんだろうか?と気にかけてしまうんですな
うんでもってこの日になると物凄く音について考える日でもあります
彼女と知り合ったのは中学のころ
ひょろっと立ち寄ったとある教室にたまたま彼女は居ました
そして卒業し一年経ってから
再び高校の図書室でばったりと会うことになったわけですねぇ
彼女は図書室の中でも一番の天然で
小学校からの付き合いがあった親友と帰る様は不思議な世界で
後ろからちょこちょこと付いてきた私の心を和ませるものでしたw
また生真面目で一番の頑張り屋さんでもあったんですよ
博学優秀で特に得意の古文なんか知っている限りでは
ずーーーーーっと学年1位だった気がする・・・
そして皆からも信頼されて
心を開かなかった人たちが目の前で開いてゆくさまを見ていました
まぁ、傍から見ればこの彼女
ちょっと不思議ちゃんではあるけれどしっかりとしてとても優しいんです
ただ耳が悪いとという事を除けば・・・
どれぐらい悪かったかというと
センター試験のリスニングをパスできるぐらい悪くって
普段の会話程度ならいいらしいが、低音が全く聞き取れないそうだ
これは先天性のものだったらしくって
小さいころから色々あったらしい
高校に入った時はそんなに酷くは無かったが
中学のころを知っている身だと結構辛いものがある
他人から拒絶され、いないようにあしらわれるさまは
何も罪がないのにコキュトスに幽閉されるような感じ
周りを見渡してもあるのは氷の台地だけ・・・
・・・ここから如何に彼女が仲間を作ったかはまた別の話になりますが
話を戻しまして普段から聞き返すことも多々ありました
さて、何気に印象が残るのは雨の日のこと
自転車通学で雨を振るときはいつも合羽を着ていたんですが
いっつも彼女だけフードを被らずにいました
理由は「雨音でほとんど聞こえなくなるから」・・・・・・だそうです
実際に雨の日の会話は声のとおりが良すぎるほどの私の声も
普段の声よりも倍近く張り上げないと彼女の元には聞こえないようで・・・
・・・まぁ彼女なりの配慮だったんでしょうが
その姿を見る度に何だか不思議と泣けてくるものもありました
私は音が聞こえている
私も好きなZetkbachさんや王子の曲を聞けるし
何よりも耳が良いことを自負している
でも彼女は音が無い(正確に言えば不十分といったほうが正しい)のに
立派に生き抜いてきて
時には自分が苦しんでいるのに私も助けたりもしてくれました
そんな彼女に尊敬の念をあらわすと共に
自分が如何に音に頼って生きているかをしみじみ思う人でもあります
音ゲーという音を楽しむ私たちにとって
音を聞ける楽しさや喜びを考えて欲しかったから
これを書く事にしました
一度は考えてみてください、音の無い世界を・・・