MAYAさんのところで(http://maya.vc/ )
Zektbachアルバム絵の担当話キターーーー!!!!
・・・うん、なんかほっとしたw
さて、昨日起こったことをありのまま起こったことを話すぜ!
昨日、あまりにも予定が狂いすぎて暇になってしまい、
Turiiのムービーを見直したところ、
一番最初のマルクトが寝ている所
丁度フードと両側にある蓮を見てて気がついた
フードが蓮の下にある!!!
・・・てことは半分沈みかけてるって事?!
これは考察しなおさにゃきゃ!!!
・・・という感じで整理そっちのけで調べなおしてみましたwww
今回の場所は一番最初のマルクトが寝ているシーンの所の再調査
まずは両側の蓮の方から
この浮かんでいる葉っぱ、可能性としては「睡蓮」か「蓮」だと思われます
でもって、両者の違いは
・葉に切れ込みがないのが蓮、切れ込みがあるのが睡蓮
・花がニョキっと立っているのが蓮、花が水面に咲いているのが睡蓮
他には花の色とかで区別が出来るそうです
このときの映像は真上からの映像なので断言は出来ませんが
多分、睡蓮かと思われます
しかし結構この「睡蓮」と「蓮」の違いが混同している場合が多く
実際の映像の中にも葉が切れていない物もあったんで
一応両者ともで見て行きたいと思います
でもって何を現しているかを見てみますと
睡蓮の花は朝の8時頃には咲いて、
午後2時頃にはもう閉じてしまうそうです、
それを3~4日間、規則的に咲いてはしぼむ性質を持つそうです
(故に夕刻には萎むことから「眠る蓮」→「睡蓮」となった)
なのでこのマルクトがいた時間は8時~14時に絞ることもできます
また、エジプトで「ナイルの花嫁」と呼ばれるほどナイル川に咲いていて
古代の神聖な花として壁画にも描かれているそうな
今でもエジプトを初めとする国々では国花としているそうです
さらに古代エジプトでは
上記の睡蓮の性質と太陽との神秘的な関係を重ね合わせ
「永遠に甦る生命と再生の象徴」とされていたとか
一方蓮の方はといいますと
仏教では、泥田の中から出て来て、美しい花を咲かせることから
汚れのある(煩悩とか)世界から、無垢な花が咲くことができるもの
つまり「煩悩に染まらない清浄な聖なるもの」とされているそうな
故に日本では菩薩様などが蓮華の花の上に座るようになったり(蓮華座)、
ヒンズー教では、蓮から神様が生まれたとされる神話もあったり、
チベット仏教の曼荼羅(マンダラ)には、
周囲が蓮の花びらで囲まれたものが多く見られたりします
そんな感じで、アジアの色んな仏教にも取り入れられ、
水と大地と生命、太陽、再生と創造、世界そのもの
・・・とこんな感じを意味する、とても重要な象徴にもなったりもしてます
どちらにしろこの蓮や睡蓮は「水に関わる清らかなもの」には間違いありません
話をマルクトに戻して状況を見てみると
マルクトは水に浮いている状態で居ます
でもって小さな子三人が呟いて、
青を除く大人しゅうが5人呟きかけて
最後にラスパンが呟くって言う感じで沈んでゆくシーンに入ります
今冷静に見てみると
この呟く順番が丁度セフィロトの樹の
セフィラ順になっているんだな、これがw
最初の3人が象徴する色とセフィラを合わせた時
そのセフィラが第1~第3のセフィラになっています
このセフィラは最も神に近い(エネルギーが強い)3つであり
我々が感知できない層の人々であります
そして5人のところで神の意思が具現化され
第10のセフィラ(マルクト)へと下って我々の元に行く
つまり前回書いた「稲妻の閃光」をこの部分でやっていたというわけ
このことは神の意思、つまり我々が言う自然の摂理というやつですな
故にマルクトは穏やかな顔で沈んでいったのかもしれません
場所から考えると
蓮や睡蓮といったものが浮かぶのは神聖な場所の表れでもあります
よって一種の神格化した儀式なのかもしれません
また、蓮が育つ環境として泥の中なので
水の中に落ちる
=マルクトが汚れる世界に行く、担当している世界(俗世)に戻る
という図式が成り立つような気がします
以上!!!
今、色んな情報があるから
見なおすと新たな発見があったりもしますな・・・
なんで、一通り終わったとはいえまだ消化不十分な所もあるんで
補足的な感じで続きをやろうと思います!!!
今後については
Ristacciaの関係を土曜日に、
その他のZektbach関連(Turii考察を含む)を水曜日
・・・という形にしようかなと思います
でも来週はお休みかな・・・
Ristacciaは最初の要なんでちゃんと調べておきたいんでw
(気分が乗れば考察やるかもしれないw)