Zektbach叙事詩 Apocalypse 歌詞考察Ⅲ | Liber Kukulcan

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いつの間にかZektbach考察が主になっちゃってたブログ

過去の考察をお読みになる際には
更新された日付に基づいて書いているのでご注意を

なかなかZektさんの更新が出来ませんなぁ・・・OTL

裏話を書くと、ブログの文章だけで軽く3時間、その前の下調べで更に一週間はかかるんです。

間違いはあってはいけないと思うとどうしてもこれだけ時間が・・・

というかそもそも、創作的な話を真面目に書こう!なんて思うからこんなことになっているんだよね。


・・・こんなところでぼやいてんじゃないや、でもって続き。

今回はアンネースが誰かに向かって問いかけているところから。

此処の問題はこのアンネースの問いかけの先は誰かって言うこと。

前回翻訳した時には「何も感じない」「互いに傷つけあう」「暴力的な文化」「呪われた戦いに勝つことはできない」

とざっとこんなことが書かれています。


旧約聖書で「裁き」「街」という点で上げれば

ソドムとゴモラ

バベルの塔の崩壊

という2点が上げられると思います。

が、なかなかこの二つとこの話が繋がっているとは思えない。


ソドムとゴモラが滅ぼされた原因が性的な関係が激しかったということなのですが、歌の部分にそういう点に触れられているのが七つの大罪の部分だけ(しかもムービーのみ)。

しいていえば滅ぼし方が街に向かって炎と硫黄の雨を降らせたという記述があることです。

そこは破滅の炎を燃え上がらせた点では似ているのですが・・・


バベルの塔では傲慢な王に対して神が塔を壊し、人々の言語をめちゃめちゃにした。ということ。

暴力的な文化の点では当てはまりそうですが他のところがしっくりと行かない。


両者とも何も感じないのという問いかけにはそうだねといえるものの、決定打がないのが現状。


おそらくはZektbach叙事詩の戦いの部分についてでしょう。

具体的にはノイグラード国関連のことかと思われます。


何も感じない=戦いをする両者のこと

互いに傷付けあう=ノイグラードの内戦のことか?

暴力的な文化=古より続いたノイグラードのやり方

呪われた戦い=リスタチアの関係の争いごと


どっちにしろアンネースは戦う人々について嘆いていそうです。

時間列を考えるとこれが一番シックリと行く。(シャムシール、ブラジャスと続いているので)

此処からは想像ですが、田舎であろうルルドにも、アゼルガットやノイグラード内戦の話ぐらいは飛び込んできそうです。

そこから神がアンネースに井戸のそこからアポカリプスソードを拾わせ、粛清の為のコマとして扱わせる・・・

なんていうことがありそう。



次回は七つの大罪と、実際の黙示録についてくる話を書こうかなと思います。

これ書いてる内に父に怒られた・・・

流石に3時間パソコンの前はやばかったかな?