na0の転がる石 苔まみれ

怒髪天 『オトナマイト・ダンディー』 2010年3月3日発売


今週はGorillazとともにもうひとつ。おそらくは日本一かっこいいおっさん4人組、怒髪天の新作その名も『オトナマイト・ダンディー』。


カッコイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!!!!


・・・・・・はい、えー(照)キモいことはやめてですね、レビューします。


ユニコーンが大人の楽しさを唄うバンドだとしたら、怒髪天は『大人のかっこよさ』を唄うバンドである。そして、それを若い世代に伝えることが彼らに与えられた使命である・・・とは、前にpillows のところでも触れたが、それこそボクがこのレビューを通じて、発信受信する両方に気付いてほしいことだからである。


時代遅れ、いやいやオールドスタイルのロックに演歌を組み合わせた怒髪天のR&E(Rhythm&Enka)というスタイルは彼らしかやってはいないが彼らにしかできないということではない。彼らのスタイルを受け継ぐようなバンドが現れることを期待したい。


na0の転がる石 苔まみれ

Gorillaz 『Plastic Beach』 2010年3月3日発売


アンビエントとエレクトロのはざまで波に揺られるスクラップの集合体で作られた人工島・・・それがこの『Plastic Beach』である。そしてその人工島から人工キャラクターによって世界中に発信されるメッセージは環境破壊。これ以上の矛盾と、そしてその矛盾が故に成り立つメッセージ性はあるだろうか。


いわずもがなこのGorillazの司令塔はBlurのDamonである。ボクは初め、このGorillazというバンド、というかキャラクターはDamonの息抜きのためのものだと認識していた。ブリットポップ・ムーヴメントの2大巨頭の1としてOASISと常に比べられてきたBlur。そんな勝手なパブリック・イメージに翻弄されることに疲れ、息抜きとして作り上げたのがこの4匹のサル。だからブリティッシュなものはあえて排除し、ラップやエレクトロを主とした音楽を鳴らしていたのだ、と思っていた。この認識は半分当たっていて、しかし半分は完全に的外れであった。


Blurというパブリック・イメージを捨てたいというのは当たっていただろう。しかし、もはや息抜きではないのだ。むしろある時点からかは定かではないが、このGorillazこそがDamonのホームグラウンドとなっているのだ。先日にでたBlurのDVDをご覧になった方はいるだろうか。あそこには最早BlurがBlurとしての機能を失ってしまっていることが如実に表れていた。さらにGorillazのリーダー、Mardocはこのアルバムの制作過程でBlurのDamonのところからBlurの新作アルバム(!)用の楽曲デモを盗み出し、そしてそのいいとこだけをとって残りの部分は捨ててしまった、そしてDamonはBlurとしての新作はあきらめたと語っているのだ。


つまりはこのアルバムがDamonの最高の力を振り絞って作られたものであるということである。そして前作にも負けない素晴らしいアルバムである。ぜひ聴いてほしい。

風邪をひいてしまい昨日から熱があります。なので、gorillazの新作も買いに行けてません。

というわけで楽しみにしていた方は申し訳ありませんが今日中のレビューは更新できません。一応熱は少し下がってきているので明日には動けると思いますので明日買いに行きたいと思います。

不摂生で申し訳ございません。

2月はほぼ椎名林檎と東京事変の月でした。


andymoriを聴いた後はずっと椎名林檎のアルバムばっかリピートリピート・・・で、スポーツを買ってからはそればかりリピートリピート・・・正直今は林檎様の声以外は耳が受けつけまへん。


それじゃいけんですたい!!!と自分に喝を入れつつ今もスポーツを聴いてる今日この頃・・・orz



でもでも、明日はなんとあのgorillazの新作が発売ですよ!そしてこの新作はgorillazラストアルバムだということ!!こりゃぁ聴かんといかんでしょ!!


ちゅうわけで明日(もしくわあさって)はgorillaz dayと勝手に表しまして、gorillazを聴きまくるます。というわけで泣く泣くコンポからスポーツを引きはがし、今からgorillaz聴きます。


レビューは多分明後日になります。気長にお待ちください。


na0の転がる石 苔まみれ

東京事変 『スポーツ』 2010年2月24日発売


初めに言っておこう、このアルバムは純然たる「ロック」でありながら完全無欠の「Jポップ」アルバムである。そして前作『娯楽』の進化形であり、そして究極形である。さらに今までの東京事変のアルバムの中で一番シンプルかつストレートな作品である。と、「である」を3回も繰り返してしまったが、これが揺るがない定義である。


椎名林檎の「世の中に流れている音楽を自分たちの作り上げたものだけにしてしまいたい」という理想をみごとに体現している。そして、このアルバムが世の中に出てしまった以上、これ以降に発売されるすべての音楽はこの水準を超えなければ存在意義はないといっても過言ではない。


正直これが彼女らの、いや椎名林檎のラストアルバムでも構わない。もしそうなったとしたら、これほど「有終の美」という言葉がふさわしいものはない。だが、初めに述べた「究極形」という定義が間違いとなるようなアルバムを作り続けることを期待したい。そして、それができるのが東京事変である。