沖縄巡り【平和祈念公園】 | 自分らしく豊かに生きる道のナビゲーター♥しょこたん 

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の後は、本日ラストの旅。
『平和祈念公園』へ。
もう夕方だったので、じっくりと
館内を見て回りはしなかったんだけど。

感じるまま、園内を巡りました。
このたくさんの石碑は、
沖縄戦争で犠牲になった方、
1人1人のお名前が刻まれていました。


この戦争で亡くなった方は、
米国側は1万2520人。日本側はその15倍、
18万8136人が亡くなったとみられています。
このうち沖縄県民全体では12万2千人以上、
県民の4人に1人が亡くなったといわれています。
(戸籍も焼失し、亡くなった人の数は
はっきりわかっていないそうです。)

また、名前も分からず戦没者の名前を刻んだ
「平和の礎(いしじ)」に、『○○さんの「長男」』
とだけ彫られている人さえいます。
当時、子どもだった人のなかには、
両親が亡くなって自分の生年月日はおろか、
名前さえわからない人もいるそうです。


ぜひ読んで頂けたら嬉しいです。
あらためて沖縄戦ってどんなだったの?
って、ネット検索してみるとね。
時期とか、攻め入方とか、残した手紙とか
いろんな情報をインプットするでしょ。

私は、育てのママがブラジル人だし、
家庭の中で半分はブラジル文化を身近に
感じ生きてきたから、小さいときによく
ハーフだと勘違いされることがあってね。

「おばあちゃんが戦争で移民したから、
パパは日本人だけどブラジル育ちなんだ」
って、答えていました。


おばあちゃんからは、
「ブラジルでは荒れ地から耕して、
それは苦労したよ~」と、
聞いたことがあったのだけど。

肝心な『戦争』の部分については、
あまり深めて考えてこなかった。

この場所で、たくさんの涙があったのは
今から、まだ、たったの70数年前。

正直、びっくりした。

「おばあちゃんが戦争で移民して~」と、
小さい頃から自分の口で喋っていたのに。

感覚的には、もっと数百年前とか、
大昔で爪痕も薄らいでいるような、、、
そんな風に思っていたから。

実際には、
まだ不発弾や遺骨なども、
どこかに埋まったままだというのにね。

奥に進むと、各都道府県からここに
寄せられた慰霊碑が続いていました。

デザインは皆違っていて、私の住む
静岡県は、こうした造りでした。


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⚠️
ここから下の記事は、
自決した場の写真になります。

※変色はフラッシュの具合です。怖がらないでね。
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グスク域にある黎明の塔。

その崖横に階段、二又に分かれた洞窟内↓
こちらが、沖縄戦の際牛島司令官と
長参謀長が最後を迎えた場所だそうです。

更に、下に降りました。
薄暗くて少し怖いなと感じる場所でしたが、
怖いとかよりも、祈りたくて進みました。
階段を降りきった所には沖縄師範健児隊の
ガマ(壕)があります。
※師範学校の生徒さん達だそうです。

軍から解散命令を受け、斬り込みに出撃する者、
手榴弾で自決する者、米軍の火炎放射で焼け死ぬなど
多くの犠牲があったそうです。
確認はしませんでしたが、岩塊下の広い空間の
壕内には納骨堂が。壕壁には火炎放射の後が
残っていたようです。

平和の像(向かって右側の少年から順に)
『友情』『師弟愛』『永遠の平和』を象徴している。


こうした場所に来て、
当時の悲しみに想いをはせてみて、

本当の平和を願う気持ちに還るとさ。


何が本当に大切で尊いことなのか。
どうやって生きていくことが
真の豊かさなのか。


誰かに教わらなくても
自然と自分で感じるんじゃないかな。



・・・・とは言え、
人って毎日何かに追われていると、
「それどころじゃない!」とか、
忘れちゃう時もあるよね。



だから、
いつも"思い出す"ための
ゆっくりとした時間が必要なんだね。




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