宮はんが燃えるやんけ・・・ | n714ekのブログ

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令和4年2月6日は宮はんの掃除だ。
建国記念日、正式名称は紀元節、のお祭りがあるのでその前に神社境内と拝殿ほか
床の拭き掃除をするのだ。

床掃除はモップと雑巾も使うので焚き火をして湯を沸かしているのだ。
ところが当日は強風の中にもかかわらず落ち葉を集めて燃やしていたのだ。
ヤバーと思っていたけど村の金持ち爺さんのやる事に口出し出来ないので、
そのままにしていた。

掃除が終わって焚き火のそばでしゃべっていると、オジサンが、
『オー、燃えとんがエ~。』と叫んだ。そこは建物の影で見えない神社裏の
林の端っこだった。
飛んで行ってガンジキとかで火を叩いたり、落ち葉を掻き寄せて延焼しないようにした。

バケツで水を運んだりしていたのだが、ジジイばかりで水を入れたバケツが重くて、
しかも林に緩い勾配が有って、木の根やら落ち葉で足元が悪いので歩くのが精一杯。
已む無く、少しでも若いワエら、と言っても65歳が走り回ってバケツで水を掛けて
何とか延焼を防止。

そうこうする内に村の消防団が到着。消防団員イコール屋台保存会メンバー。
神社で火事と聞いたら飛んでくる連中だ。
で、隣りの池から取水して火元の他周りも入念に水撒き。



なんとか一件落着。
あと少し気付くのが遅くて竹藪に燃え伝わっていたらもう手遅れになっていた。
神社の後ろは神域で大木が沢山あるので、燃え広がれば風上とは言え神社にも飛び火した
だろうし近くの民家にも飛び火しただろう。本当に間一髪助かった。

村には消防団があるのも一理あるな。ワエらが小学生の頃は、青年団、消防団、敬老会、
婦人会まであった。現存しているのは消防団だけだ。あとは人数不足で自然消滅。
その消防団もあと10年すれば昔の敬老会入りの年齢が殆どだ。
村の戸数は100軒ほどだが、小学生は12人だ。うち男の子はわずか4人ぐらい。
そらま、神社があって屋台保存会があっても屋台は担げんわな。

昔は月に一度は土曜日の夜に公民館で子供会があって青年団が演劇をやってくれたのだ。
青年団は男女が加入していた。昭和40年代の日本が高度成長して家族が一番幸せな
エエ時代やった。
最初は石油ショックで、次ぎは変動相場制やら経済グローバル化で貧乏になり、
更に竹中平蔵らのように金融グローバル化で日本社会を差配するヤカラが国会や政財界
を跳梁跋扈するようになって益々日本人は貧しくなったのだ。

こいつらはしたり顔してやらグローバル化やら経営論をブツけど、結果的に日本人が
貧乏になったのはこいつらのやり方が間違っていたからである。
それを是正せず、まだやり方が中途半端やからと言って益々やらずぶったくりを強化
しようとするのだ。

自動車メーカーのように海外ばかりに投資したり、シナのウイグルや香港の人権弾圧を
容認して銭儲けに固執しているユニクロの柳井ら鬼畜には天誅を加えるべし。