笑いのつぶやき
笑いの散歩51~100
52「春の夜の夢」
この「春の夜の夢」とは、楽しいことは、はかなく短いことのたとえであります。みなさんはどのように感じますか。私は身勝手と言いますか、辛いことや苦しいときは長く感じ、うれしい時や楽しいことは短く感じます。それでは毎度のばかばかしいお話しです。和尚と小僧の会話であります。
「おい、小僧。そのような暗いところで何をしている?」
「あ!お、和尚さん」
「お前、何でそのようにあわてる。ははぁ、さては御仏からお供えものを盗んで、そのようなところに隠したか、それとも、何か、ええ、お前は仕事がいやでそのような狭いところで寝ていたなぁ?」
「そんな、悪いことじゃないです和尚さん。俺等は春の夜の夢をさがしていたのだ」
「なに?春の夜の夢をさがしていた!?」
「そうだ、その春の夜の夢だ」
「これ、そのようなものを探して、お前はどうする気だ?」
「だって、楽しいことは、はかなく短いというから、どれほどのものか確かめたかったのだ」
「バカもの、それはなぁ、楽しいということは、言い換えれば春の夜の夢とおなじく、何時までも見続けていたい夢だが、夜明けが早くていつまでも見続けられないということなのだ」
「だから、俺等はこの押入れの中で、その春の夢というものを、どんな夢をいうのか、ねぇ、試しにその夢をみてみようとしていたのだ」
「これ、そのなぁ、その、お前の考えは、わからないこともないが、春の夜の夢とはそのようなことではないのだ」
「それじゃ、どのようなことですか、和尚さん?」
「それはなぁ、楽しいことや嬉しいことはじきに終ってしまうという格言で、昼日中から押入れに入って寝ることではないのだ」
「だって、この中に入って春の夢を試していたら、いつの間にか春の夢を見ないうちに寝てしまったのだ」
「それを、押入れの中の、つかの間の夢というのだ。それぐらい人の夢とははかなく短いものなのだ。ええ、分かったか。これ、小僧」
「戯け、分からん奴が、何が中途半端だ」
やぁ、怒られてしまいましたね。春の夜の夢は人生の戒めとなる格言と和尚さんは言っておられましたが、やはり世の中というのは無常ですなぁ、
無常をムジナと間違える 源五郎