わらいのつぶやき
笑いの散歩51~100
51「無くて七癖(ななくせ)」
これは癖(くせ)がないといわれる人でも、さがせばあること。或いは癖がない人でも、癖はあるものだというたとえです。例えば爪をかむくせとか、体をゆするくせや屁をひるクセとか・・え、屁ですか・・。いや、そんな臭いお話しより、もっとばかばかしいお話しと参りましょう。
「おい熊、お前はヒマだと寝るクセがあるな」
「何だとう?寝るクセだって?」
「ああ、ちょっと時間があると、すぐ寝るクセが、お前にはある」
「何だとう?おれのこれがクセだっていうのか?」
「それじゃ、それをクセと言わないで、何というのだ、ええ?」
「葉もの扱いの八ちゃんは、そのような考えだから目玉商品と言っちゃ白菜や大根に目玉を描いてはお客をダマすのだ」
「白菜や大根に、目玉描いて、どこが悪いというのだ、ええ?」
「バカいっちゃいけないよ、おいらのこれは寝るクセじゃなくて、考えるクセというものだ。覚えておけ」
「何だとう、考えるくせだって。へぇ、考えるクセが聞いて呆れる。寝ながら競馬や競輪の賭け事にうなされて、ええ、どこが考えているというのだ?」
「何度もバカをいっちゃいけないよ。競馬や競輪を予想し、どれが良いか考えなくてはなぁ、そのレースが見えるとでもおもうのか。知らぬものは黙っているものだ」
「へぇーだ。レースが聞いてあきれる。何時だったか、そんな昼寝して、ため池に落ちた夢を見て、ポカーンと大きな口あけていたのは、どこのどなたさまでした」
「何を言うか、ええ、夢を見るのは生きている何よりの証拠というものだ。そんなこともしらないのか?」
「何が生きている証拠だ。ひき蛙が大蛇に飲み込まれたような情けない顔しているからなぁ、そんな熊を見た泥棒猫は、ニャンと鳴いてみて、そんな熊の反応をたしかめ、こりゃ大丈夫とても思ったのか、その泥棒猫はひょいとでっかい秋刀魚くわいて逃げて行ったのだ」
「ああ、おれにはなぁ、そんな猫をみのがすクセがあるのだ」
魚屋の熊は、泥棒猫には何をされようが、痛くもかゆくもないタコができているのだ。泥棒猫はそれをちゃんと知っているのだ。
クセなど山ほどある 源五郎