笑いのつぶやき
笑いの散歩1~50
50「牛に引かれて善光寺参り」
この「牛に引かれて善光寺参り」は、これまでの言い伝えでありますので故事になります。これは、自分の考えでなく、他のものに誘われて、偶然よいほうに導かれるたとえであります。これにも長い落語調に拵えた漫談噺がありますので、そちらの方でもお楽しみ下さい。今回は短くまいります。それでは魚屋の熊と、八百屋の八ちゃんの「泥棒猫見なかったか?」の巻きです。
「おい、熊。猫、猫を見かけなかったか?」
「何だ?猫」
「おお、そうだよ、泥棒猫だよ」
「何だ?ええ、八ちゃん。八百屋が、何で、猫の被害にあうのだ?」
「そんなこと、知らねぇ。とにかくこの魚屋に泥棒猫が他の猫とグルになって逃げ込んだのを俺はちゃんと見たのだ」
「要領を得ぬ八ちゃんだなぁ。だから、なぁ、何で猫の被害にあったのだときいているのだよ」
「え?それじゃ、何か、俺の八百屋じゃ、猫の被害にあっちゃ困るとでも熊はいうのか?」
「そりゃ、当たり前だ。おれんちの魚屋が猫の被害にあうなら話がわかるが、ええ、八ちゃんちは八百屋だよ。その八百屋で、いくら急いでいる猫といっても、きゅうりとサンマを間違えるわけがないだろう。だからなぁ、そりゃどうもおかしいというのだ」
「何だ、ええ、その疑いの目は、熊が俺を怪しく見てどうする。まぁ、いいや、ところで熊、そこにうまそうな鱈(たら)があるね。その鱈で今夜はいっぱいやるか、ええ、どうだい」
「何だとう?泥棒猫はどうした?」
「だから、もう・・いいのだ。そのかわり熊、この鱈もらっていくよ」
「こら、猫追っかけてうちにくるなら、今度から大根とか白菜持って泥棒猫を追っかけてこい。そうすりゃ、いつだって歓迎するよ、なぁ、八ちゃん」
へぇ、こりゃ見え見えでしたね。でも、野菜を入れた鱈鍋なんて最高ですね。八ちゃんは鱈鍋を食べたくて泥棒猫を思い立ったのだ。ほう、こりゃ、うまくいったぞ。
猫に珍しがられる 源五郎