2008年ごろ、レッドカーペットで大ブレイクしていた頃は、ツッコミでワイングラスを合わせる形が「なかなか面白い」くらいの感だった。2011年「自転車で旅をしよう」に出演時にすでに「ああ栄光の2008年…」という自虐をやっており、「自称“一発屋”か…」くらいの印象しかなかった。
認識が変わったのが2018年に出版された「一発屋芸人列伝」。本屋でたまたま手に取り、冒頭を立ち読みしたところで、一気に引き込まれた。衝動買いし、一気読み。非常に魅力的な文章で、雑誌ジャーナリズム賞受賞を引っさげ、Eテレ「スイッチインタビュー」を見たのが久しぶりの映像。そのときに紹介されていた「ルネッサンスラジオ」を聴くようになってファンになり今に至る。
聴き始めたころから、番組のテイスト・しゃべっている内容は今もそれほど変わらない、がなぜか毎回新鮮ではある。2020年からコロナウイルスの影響で地方営業が壊滅したにも関わらず、東野幸治のオールナイトニッポンへのゲスト出演、山梨でのテレビレギュラーの開始、千葉でのFMラジオの開始があり、自費出版のようだったルネッサンスラジオにも3社のスポンサーが付くなど、じわじわとではあるが「環境が良くなっている」感がある。最近では「一発屋会」の面々がしゃべくり007に出演するなど地力のある芸人が見直される風潮に乗っかってきている。
「ルネッサンスラジオ」での愚痴妬み嫉みは、時にエスカレートすることもあるが、言われている相手(文化放送、サンミュージック、若手男性声優、相方etc…)からストップがかかることもない。ある種の「くさし芸」として認知されている(のではないか)。独特の低音ヴォイスも魅力で、毒を吐きながらもある種の癒しがある。
文章のほうも安定した需要があり、日経新聞夕刊のプロムナード連載は自分のことのように嬉しかった。そこに掲載された内容も含まれた本「パパが貴族」も傑作。今は土曜日のNIKKEI+に定期的に載る「なやみのとびら」が味わい深い。様々な回答があるが、首尾一貫しているのは「自分は何ものでもない、といくことをまず自覚しよう」というもの。「自分にとって自分自身は特別ではあるものの、他人にとっては何ものでもない。何事も起こらない人生というのも悪くないのでは?」とのメッセージにはある種の「悟り」も見え隠れし、救いを感じる人もいるのかも。現に「キラキラした人生などない」というタイトルの講演会のオファーは引きも切らないとのこと。
ファンとしてはもうひと山当ててほしい、という気持ちはあるものの、今の状態が実は一番心地よい、という気もする。








