たくさんの『ありがとう』と共に | *札幌*二人の息子の不登校とひきこもりを経験して…親のココロが緩んだ先に見えるもの

*札幌*二人の息子の不登校とひきこもりを経験して…親のココロが緩んだ先に見えるもの

中3の夏から不登校になり、進学せず、3年間お部屋生活をしていた長男のことや当時のわたしの気持ち

息子の不登校をきっかけに
私自身が自分自身と向き合う事に気付き、学んだ心のことを中心に綴っています


2017,5月 長男は働き始めました


『覚悟はしてたけどよ。。。』

言葉を詰まらせる義兄


『うん』


宣告されていたって
大往生であったって

覚悟していたって


悲しいものは悲しい。

気持ちに折り合いなんて
付けなくていい。


……

義父は眠るように亡くなったそうです。
就寝時、看護師さんに
『痛いところない?』と聞かれ

『大丈夫』と会話もしたそうです。


その日はちょうど
最強寒波到来の日

連絡が来た明け方
外は吹雪いてた


高速道路も止まり
倍以上の時間がかかってしまったけど

義父はあたたかく
眠っているようでした。




振り返ると
昨年の8月下旬

遅めのお盆休みを取った長男と主人と
ゴルフ場に着く寸前に

透析中に心筋梗塞を起こし危ないと
病院からの電話

そのままキャンセルし
病院に向かった

一命は取り留めたけど
いつ何があってもおかしくないと言われ

翌日には次男の喪服を用意した
入っていた予定も全部キャンセルし
慌てて実家の大掃除もして


そんな状態から
退院出来るまでに回復したお義父さん

ゆっくり会って
話せる時間をもらえました。



透析すれば心臓に負担がかかる
心臓を優先すれば透析が出来ない
覚悟するしかない状況の中、また入院し


年越しは難しいと言われた時も

大晦日の夜に電話をくれました。


そして、先日また
あと数日と思ってください。と言われたけど

普通に主人に電話をかけてくるお義父さん


何度宣告されても
覆すお義父さん

先生の言ってることほんと???と
思うほどでした


家族に1個の迷惑をかけることなく
大きな痛みを伴うこともなく

いつもの眠りと共に。。。




孫は2人。
2人共が学校に行かなくなり
ひきこもりになった。


昔の考えを持っていて当たり前の義父が
どんな思いでいたのか
聞くことをわたしはしなかった。
義父が話すこともなかった。

子供たちどうするんだ。と
聞いてくることも1度もなかった。


孫が不登校になっても
何も変わることなく
いつも
おじいちゃん『〇〇は元気か?』
『〇〇は元気か?』

お母さん『うん、相変わらずw』

おじいちゃん『そうか』と
言ってくれた。


長男の不登校で
罪悪感でいっぱいの頃のわたしは
本当に救われた



いつもいつも
ただただ子供たちを見守ってくれた


本当に感謝しかない


最後の見送りの時

わたしも長男も次男も
涙と共に溢れた言葉は

『ありがとう』だった。

子供たちをずっと見守っていてくれて
ありがとう

おじいちゃん…ありがとう。


長男も次男も
言葉に出来て本当に良かった…




嫁として
何かしてきたか、出来たかと考えると
何もなかったかもしれない


でも、お義父さんが
家族みんなの
そのままを受け入れてくれたように


わたしもそれだけは
してきたように思う



親と縁の薄かったわたしが
親不孝や後悔しかしてこなかったわたしが

なんで。や
ごめんね。。。じゃなく

ありがとう。と言えたこと…
言わせてもらえたこと


本当にありがとうございます。と


心から思う。




わたしが今思うこと
残しておこうと思います^^