会派あおぞらでは、3/25-26に視察に行って参りました。
視察箇所、内容は下記のとおりです。
クリックして頂く、別記事に飛びます。
①小布施町(景観、農業振興について)(←今ココ)
②刈羽原子力発電所(現地視察、福島の現状)
③南魚沼市(景観、コメ普及条例について)
さて、ノブレス・オブリージュとはフランス語の言葉で、
日本語では「位高ければ徳高きを要す」「持てる者の義務」
などと訳される言葉です。
詳しくは、wikipediaの説明を御覧下さい。
以前書いた道の駅のブログでも書きましたが、
今回の視察を通して、街おこしは人の力、というのは間違いないと確信しました。
強靭な意志と熱いハートと戦略を持った責任ある立場にある人が居てこそ、
街が、物事が始めて動くのです。
①小布施町(景観、農業振興について)
小布施町では、行政と民間が連携した街づくりを展開していますが、
担当職員の話で気になったのは「結果観光」という言葉です。
観光立町を目指して街並みを整備していったのではなく、
自分たちが住み良い街を目指して景観を意識していったことで、
結果として多くの観光客が訪れるようになったということです。
今となっては「まちづくり」を意識している行政は増えましたが、
「小布施町並修景計画」として北斎館周辺の1.6haの土地を、
何と昭和56年~62年にかけて街並修繕を行っており、
平成2年には景観法(平成16年制定)に先駆けてまちづくり条例を制定しており、
当時から住民、行政の景観に対する意識の高さがあったということが分かります。
そうした決断を行ったのが、当時の小布施町の首長であり、
それと協働して街づくりに貢献したのが民間事業者の方々です。
また、興味を持ったのが観光=交流産業という考え方です。
観光客が小布施の住民、文化、歴史、風土と触れ合う機会をつくる、
”おもてなし”を行うことが大切ということです。
観光≠来客数、収入であり、数字面で捉えてばかりいては、
「また来たい、住みたい」を作ることは出来ない、ということです。
街づくりを展開する上で重要な役割を果たしたのが名物である栗であり、
小布施町の至る所で栗を使用した洋菓子、和菓子が販売されていました。
これは、6次産業として付加価値を付けて販売することで、
産業振興だけでなく、農家の安定的な収入にも繋がり相乗効果をもたらします。
農業でも、新進気鋭の農業者の方が引っ張っており、
「ブラムリー」というイギリスの加工用のすっぱいリンゴや
「チェリーキッス」という酸っぱいチェリーを持ち込み、
新たな小布施ブランドの振興に絶えず努力を重ねています。
それを下支えしているのが小布施町振興公社であり、小布施屋です。
新宿高野とコラボレーションを行ったりと、幅広い活動しておりました。
【視察から学んだこと、東松山で活かせること】
・民間、住民の街おこしが最初の一歩であること
・目先の数字にとらわれすぎないこと
・集約して相乗効果を狙うこと
・農業公社が統一的な”東松山ブランド”を展開すること
地域住民が立ち上がることが最初の一歩であることは間違いなく、
それから行政が必要な下支えをしていくことが、
どの街おこしにも通じる鉄則であると思います。
小布施では、今の形になるまでには20数年かかっており、
長期的な街並みの形成が必要であると感じました。
そのためには、東松山の理想となる街づくりを追い求めて、
市街地の方々も徹底的に地域の在り方を考えていく必要があります。
また、以前は市内に点々とあった事業所を集約して、
今の小布施らしい街並みを作り上げたということです。
東松山は、面的に広い範囲に商店街がありますが、
ある程度集約した商店街づくりも必要であると考えます。
それには、大鉈を振るう必要があり、合意形成がまず第一です。
民間でリーダーシップをとっていける方、
行政でもしっかりサポートが出来る方が必要です。
農業振興では、東松山には唯一の農業公社がありますので、
加工品には”東松山ブランド”を作り上げることでお墨付きを与え、
デザイン面でも惹きつけるように”魅せる”こと、
つまりPRの手法も非常に大切であると感じました。
東松山の農業には、大きな可能性があります。
視察箇所、内容は下記のとおりです。
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①小布施町(景観、農業振興について)(←今ココ)
②刈羽原子力発電所(現地視察、福島の現状)
③南魚沼市(景観、コメ普及条例について)
さて、ノブレス・オブリージュとはフランス語の言葉で、
日本語では「位高ければ徳高きを要す」「持てる者の義務」
などと訳される言葉です。
詳しくは、wikipediaの説明を御覧下さい。
以前書いた道の駅のブログでも書きましたが、
今回の視察を通して、街おこしは人の力、というのは間違いないと確信しました。
強靭な意志と熱いハートと戦略を持った責任ある立場にある人が居てこそ、
街が、物事が始めて動くのです。
①小布施町(景観、農業振興について)
小布施町では、行政と民間が連携した街づくりを展開していますが、
担当職員の話で気になったのは「結果観光」という言葉です。
観光立町を目指して街並みを整備していったのではなく、
自分たちが住み良い街を目指して景観を意識していったことで、
結果として多くの観光客が訪れるようになったということです。
今となっては「まちづくり」を意識している行政は増えましたが、
「小布施町並修景計画」として北斎館周辺の1.6haの土地を、
何と昭和56年~62年にかけて街並修繕を行っており、
平成2年には景観法(平成16年制定)に先駆けてまちづくり条例を制定しており、
当時から住民、行政の景観に対する意識の高さがあったということが分かります。
そうした決断を行ったのが、当時の小布施町の首長であり、
それと協働して街づくりに貢献したのが民間事業者の方々です。
また、興味を持ったのが観光=交流産業という考え方です。
観光客が小布施の住民、文化、歴史、風土と触れ合う機会をつくる、
”おもてなし”を行うことが大切ということです。
観光≠来客数、収入であり、数字面で捉えてばかりいては、
「また来たい、住みたい」を作ることは出来ない、ということです。
街づくりを展開する上で重要な役割を果たしたのが名物である栗であり、
小布施町の至る所で栗を使用した洋菓子、和菓子が販売されていました。
これは、6次産業として付加価値を付けて販売することで、
産業振興だけでなく、農家の安定的な収入にも繋がり相乗効果をもたらします。
農業でも、新進気鋭の農業者の方が引っ張っており、
「ブラムリー」というイギリスの加工用のすっぱいリンゴや
「チェリーキッス」という酸っぱいチェリーを持ち込み、
新たな小布施ブランドの振興に絶えず努力を重ねています。
それを下支えしているのが小布施町振興公社であり、小布施屋です。
新宿高野とコラボレーションを行ったりと、幅広い活動しておりました。
【視察から学んだこと、東松山で活かせること】
・民間、住民の街おこしが最初の一歩であること
・目先の数字にとらわれすぎないこと
・集約して相乗効果を狙うこと
・農業公社が統一的な”東松山ブランド”を展開すること
地域住民が立ち上がることが最初の一歩であることは間違いなく、
それから行政が必要な下支えをしていくことが、
どの街おこしにも通じる鉄則であると思います。
小布施では、今の形になるまでには20数年かかっており、
長期的な街並みの形成が必要であると感じました。
そのためには、東松山の理想となる街づくりを追い求めて、
市街地の方々も徹底的に地域の在り方を考えていく必要があります。
また、以前は市内に点々とあった事業所を集約して、
今の小布施らしい街並みを作り上げたということです。
東松山は、面的に広い範囲に商店街がありますが、
ある程度集約した商店街づくりも必要であると考えます。
それには、大鉈を振るう必要があり、合意形成がまず第一です。
民間でリーダーシップをとっていける方、
行政でもしっかりサポートが出来る方が必要です。
農業振興では、東松山には唯一の農業公社がありますので、
加工品には”東松山ブランド”を作り上げることでお墨付きを与え、
デザイン面でも惹きつけるように”魅せる”こと、
つまりPRの手法も非常に大切であると感じました。
東松山の農業には、大きな可能性があります。