わたしは今までたくさんの知識をつけてきました。
そして、そのことに疑問をもったことはありませんでした。
最初に身につけていくのは教養。
勉強をする、本を読む、経験をする。
そうやって幼い頃から当たり前に身につけていくもの。
その知識や考え方を得ることは
人生にとって有効な手段だとされています。
社会に適応するためのものとして。
今という時代はネットでどんな情報でも集められるし
たくさんの知識を得るために学び
細分化して更に深く知り専門知識を得ていけば、仕事にもつながっていく。
そこに疑問をもったことなど
みなさんもきっと基本的にはないでしょう。
わからないものに出会った時、わたしたちは当たり前のように理解しようとします。
それを調べたり、勉強したり、人に聞いたりして、様々な方法でわかろうとします。
答えを知りたいと思うのが人というものですから。
でも、逆に、TVニュースなどで、必要以上の情報が流れていることにうんざりしたり
耳を塞いでいる方も多いと思います。
問題を起こした人の背景や個人情報まで細かく流し、深い情報のように勘違いした状態も多々あります。
事件自体のどこに責任があるのか…そのようなことを細かく流れてきますが
結局、事件自体は無くなっていません。
そう考えると、どこまでが必要な情報なのか…
もしかしたら、シンプルなまま、問題をそのまま置いておいて
「どうしたら問題がなくなるのか」を、直接考えたほうが良いようにも見えてきます。
情報や責任を追いかける前に。
そらさんのブログを読んでいると、
自分が求めるものがここに書かれているように思うんだけど
何を言っているのかよくわからなくて…
となんだかモヤモヤしてしまう方が多いようです。
それで「会うしかない!」となって
ブログに書いてあることや疑問に思ったことを聞こうとするんだけど
何とか絞り出した質問のその答えが
期待する答えではなくて… さらにモヤモヤ。笑
そこで語られていることは
本当はシンプルなことで
小学生でもわかる言葉を使って話しているんだけど
何をいっているのか理解できないという不思議。
さらに、モヤモヤ。笑
今まで知識を得よう、理解しようとしてきた脳の使い方とは
全く違うことが脳内で起こっているようなのです。
さらに不思議なのが、バトンに参加した後
ブログを読み直したときには、全く違うことが書かれていることに気がつき
書いてあることが前よりわかるようになってきた!というのもよく聞くお話。
先日の東京バトンに参加していた方も数回参加して
ブログが普通に読めるようになってきたと話していました。
1日数時間だけの参加の方も後からハッと気づいたり、
日常の中で急に
言っている意味がわかった!ということが多くあります。
そらさんのブログにもそんな方からの感想が今日アップされていました。
ほんの少しの時間でも、その方の本質に届く言葉を必ず投げかけていますから。
そらさんが以前雑談で、こんな話をしていました。
「 虹って七色がある。それが七色だと認識しているとクレヨンで七色描く。
でもあれはグラデーション。
みんなは七色だ!で終わっていて虹をわかっている気になっているんだけど、
間の色が何色かもわからない。
〈虹は七色〉が真実か、〈グラデーション〉が真実か。
色にフォーカスしたら、七色をもっと細かく間の色が何色か…と
やっていかないといけなくて、それを複雑な情報で整えても
正解と言えるところにはたどり着かない。
虹はグラデーション。シンプルでこれ以上深い答えはない。
それが、〈何色か?〉ということは必要な場合にのみ決めればいい。
もしかしたら〈虹色^^〉で良いのかもしれないね♪」
細分化してそれぞれを知ろうとしているからこそ複雑にしていっている。
それが学問だとそらさんは言います。
知っている。
わかっている。
知識を得れば得るほど、自分の知っている知識に全てを置き換えてしまいます。
腑に落ちるとか、ピン!とくるというのは、
自分の中の知識と照らし合わせたから起こること。
それは、実は、何も広がっていない。
知識に置き換えて「わかった」と思うことは、自分を狭い世界に閉じ込めてしまう…
それ以上知ろうとしなくなるし、すべてがそこで止まってしまうから。
知っている・わかっていると思っているから、
狭い世界に入っていることさえ気づきません。
細かく知っていけば深く知ったと思うのがわたしたちです。
でも知っていると思っていることは、実はわかっていないことが多い。
親が愛してくれなかったといっても、愛がどういうものかもわかっていません。
必死で相手を認めようとしたり受け入れようとしたりするけれど
認めるがどういうことかも、受け入れるとの違いもわかっていません。
多くの人が、そうやって突き詰めて聞くと答えらないのです。
それなのに、愛も、認めるも、受け入れるも、
知っているという前提で向き合ってしまう。
いったい何に向き合ってしまっているのでしょうか?
バトンという場は「 自分は何もわかっていなかった 」と知る場でもあります。
「 何もわかっていなかった 」ということを
ネガティブに捉えてしまうかもしれないけれど
実は、世界を広げてくれることなんですよ。
自分の思考ではわかり得ないほど大きな世界があるということだから。
様々な知識が外れて本当にシンプルになっていったとき
奇跡としか言いようがない「人生」が見えてくるはずです。
人生には不思議なことがいっぱいあります。
私はなぜ、この人と出会ったのか?
私はなぜ、この会社に採用されたのか。
そんな当たり前にみんなが体験している偶然のような不思議を
わかる時が来るかもしれません。
自分の思考の中に収まることのない
「人生」や「人」というものを感じ始めたら
きっと人生は面白い^^
Setsuko
setsuko.nrt@gmail.com
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