空想は、逃げ場として使われる | 三昧の~一水四見ブログ

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見慣れると、見ているようで見ていない。
そんなことが気になる、今日このごろ。

なんだか~ね、
将来においてこうだったら、こうなったら、
こうでしょう。こうなるに違いない。

という話をするでしょ?
家族ができたら・・・子供ができたら・・・
男はこうで、女はこうなっていて・・・
社会はこうで、こうなっていて・・・

相手の立場になったら、
考え方は、変わる。煮違いない。
という会話術があります。

しかし。
こういう仮想・空想を持ってくるのは、
「心の在り方で、全てが変わる」と、
気づくことこそが大事なこと。
なのでしょ?

仮想なのに、事実・真実と
思い込むと、逆に迷路に落ちる。

仮定・空想を持ち込んで解放を目指すのは
・・・クリシュナムルティの提示している
ものとは間逆にある。ような気がします。

「いま、ここで」解放される道は、
ないのでしょうか?

真の解放は、現実を徹底的に見ること。

私たちの心の動きがすべてで、
そこに全てがある。

それに気づくことは、過去も未来も、
一瞬にして姿を変える力がある。

仮想・空想必要ない。
と思うのだけどね。