認知・認識システム | 市民社会づくりの日々

認知・認識システム

今日はフィードバック研究会の準備会をしました。


簡単に言うと、自己を知って、自己の成長発達を促すような学びを得るための議論や研究をしましょうというものです。


それは、それはいわゆるつまずいている人もあり、支援の仕事についている人もあり、立場や年齢など関係なく自分の知って、自分とうまく付き合っていきたいという動機のある人は誰でも参加できる研究の場です。


今日はとりあえず準備会なので、軽く「当たり前」について考えてみようということで、「知っている人と会った時にはあいさつをしよう」というのが当たり前か、当たり前ではないかということをネタに議論を開始しました。


もちろん、こんな問いの答えを見つけることが目的ではなく、その議論から何かしら論点にたどり着かないかとの模索だったのですが、いろいろな話題が出ました。


まだ、どんな方向性にこの研究会が行くのかはわかりませんが、とりあえず2週に1回はやってみようということになり、やりながら考えていくことになりそうです。


本研究会が終わった後に、集団ではしゃべるのがとても苦手な次女と居残って、札幌の大学院生からえにぃに修行に来ているスタッフと追加の議論。


9月に私と次女で夜更けまで議論してたどり着いたシステムを紹介したら、議論が白熱して、臨時の第二部となり、盛り上がりました。


名付けて、「認知・認識システムを活用した自己分析による人間発達論理の解明」とでもいいましょうか。


なにしろ、この認知・認識システムは典型的な発達障がいの自分を理解したい次女と、社会で自分が楽に生きていくのために世間一般の主流を占めている定形発達者のシステムを理解したい私と次女と、そして私にとっては既存の認知システムでは説明できない自分の非定形を理解、整理するために解明したシステムなので、かなり普遍性が高いものです。


その基本システムによって、いろいろなことが説明がつくので、あれはどうか?これはどうか?と整理していきました。


究極的にはやっぱり、自己の構造を知ることが大事で、人間が経験によって自己をどう形成して、発信(表現)をするつまりは社会的な行動をとっているのか知ることがとても大事jだということです。


それを知ることによって、自分が陥りやすい罠に気付き、状態像を客観的に知り、適度な対策を講じながら自己をコントロールして、他者や社会との折り合いをつけていくことができる気がします。


それにしても、改めていろいろな人たちの話を聞くと、人ぞれぞれ認知すること、認識することというのは違うことが分かりました。


そもそも違う人たちが同じような気持ちになったり、理解し合おうとしたりするのですから、厄介に違いないのです。


少なくとも、支援をする立場の人たちはその厄介なことを仕事にしようと選んでしまったわけですから、自分に向き合わないとそれができないことになります。


自分と向き合うことは、私としては面白いことですが、向き合えない時や向き合いたくない時が意識無意識問わず、あると思います。


でも、自分が少しでも成長し、ちょっとはましな人生を送ろうと思うのなら、その自分と向き合うことを避けずにはいられません。


そして、自分と向き合うことは他者を介さないとできないので、結果として他者と向き合うことにもなります。


きっと、他者への支援をやりたいと思う人、やりがいを感じる人は潜在的に自己への不全感、渇望感をを抱えていることが多いのではないかと思うです。


それを動機に支援に取り組むこともありだとは思いますが、やっぱり少なくともそれを自覚し、常に突きつけられているのは「自分」ということを忘れてはならないと思います。


さて、明日は久々に少しお休みチックな一日。


締め切りの原稿はありますが、少しゆっくりと過ごしたいと思います。