◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行してきました。

 

本日は、完結の巻四十をご紹介いたします。

 

先日ご紹介したように、すでに全巻書写を終えて製本も終え、毎週紹介してきた一巻ごとの記事もようやく今回で終わりです。



巻四十「紫野」:藤原氏の行く末の栄え

 

応徳元年(1084)9月~寛治6年(1092)2月。
関白・藤原師実と北の方・源麗子らの天王寺参詣から始まる。中宮の藤原賢子不例により急ぎ戻るが崩御。悲しみの白河帝は長いこと籠りきりとなった。帝の異母弟である東宮・実仁親王も裳瘡で薨去したため、鳥羽に離宮を造営し自らの子・善仁親王へ譲位。母賢子の崩御で退下した前斎宮・媞子内親王と暮らした。師通男で祖父師実の養子・藤原忠実が元服。その他、二条院章子内親王の新堂建設、皇太后・藤原歓子の小野籠居、四条宮藤原寛子の宇治御堂、斎院の交代や、新斎宮・善子内親王が母藤原道子と伊勢へ向かったことなど、女性たちの様子もそれぞれ描かれる。


いよいよ長かった栄花物語、全40巻の最後です。最終巻も盛り沢山な内容でしたが、選んだのはその末尾を飾る場面。


三位中将となった藤原忠実が源俊房女と結婚し、ほどなく中納言となり、春日祭の上卿として、大勢の供を引き連れ下向します。
寛治6年の2月7日の春日祭、15歳の若き忠実は、正三位・権中納言・右近衛権中将。
かつて祖父の師実も春日祭の上卿として下向し、いまその孫がまた栄えてゆく……藤原氏の氏神である春日の神も満足で慶祝したであろう、と筆者は述べます。「世にまた三笠の山のかかるたぐひなく、めでたう思ひ余り」という忠実は、まさに藤原氏の輝く未来を象徴する若者なのです!(……といいつつ、どーーーっしても、往年の大河ドラマ『平清盛』の國村隼さん演じた老獪な姿が浮かんでしまう……笑)

長い栄花物語の締めくくりは、その立派な様子を見た一見物人が思い浮かべる歌。
 行く末もいとど栄えぞまさるべき春日の山の松の梢は

これぞ“藤原氏の栄華”を主題に据えた長編歴史物語の完結です。

 

 

 

以前あげた私家製本版・栄花物語(2冊本)の掉尾はこちら。

ちょっと中途半端ですが「のこずえは」となっています。

 

 

☆使用テキスト