◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行中です。

 

本日は、巻三十七をご紹介いたします。

 

先日ご紹介したように、すでに全巻書写を終えて製本までしているので、これからあと最後の四十巻まで、毎週金曜日にUPする予定です。



巻三十七「けぶりの後」:前斎院・娟子内親王の密通

 

康平元年(1058)~治暦3年(1067)。
もはや年次は行ったり来たり、巻名は法成寺焼失の際詠まれた歌より。同じ年、内裏・大極殿も焼けており、平安中期以降の火事の多さが目立つ。

 

斎院が多く話題に上る巻でもあり、現斎院の禖子内親王が時折精神に異常を見せること、正子内親王に斎院が代わること、かつて斎院であった東宮妃の馨子内親王の子はみな早世してしまったこと。そして前斎院娟子内親王の密通。

 

馨子内親王は再び男子を出産し、同時期に師実の室・麗子も師通を出産するが、皇子だけやはり早世してしまう。東宮女御・茂子、語られないがその養父・能信、長家、頼宗と多くの死もあった。頼通は宇治に籠居、東宮との不仲がささやかれていた。


 

書写した場面は、やはり最もドラマ的な<前斎院の密通>。
斎院の名は、故後朱雀院の女二宮・娟子内親王。お相手は源師房の長男・中納言源俊房。「乳母子を語らひて、忍び忍びに参りたまひけり」。内密のうちに邸に迎え入れてしまいます。

皇太后禎子内親王所生の同腹である東宮・尊仁親王(後三条天皇)は特にご立腹で、困惑する帝にも詰め寄る勢い。俊房は自ら謹慎したものの、東宮の怒りは静まることなく、母にも娘との手紙のやり取りすら禁じています。迎え入れた内親王は、俊房の母・藤原尊子(道長女)が世話をしており、父の大納言師房も成り行きに気を揉んでいます。

巻の最後には内親王の「いとめでたくをかしげ」な様子。そして俊房を物語の男君にたとえ「いとあてやかになまめかしき御様」と評しています。


思い出されるのは、三条天皇皇女・元斎宮の当子内親王ですね。漫画『うた恋い。』では、強引に迎え取ろうとしない恋人・藤原道雅に彼女は、「私とおまえはどうやって一緒になるのです」と決めつけています。

 

ここには描かれないものの、後の世で実力行使した二人は周囲から認められ、娟子内親王は源俊房の正室として収まることができたのでした。当子内親王のあの強気な台詞は、まさしく正論だったということです。

 

 

 

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