◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行中です。

 

本日は、巻三十五をご紹介いたします。

 

先日ご紹介したように、すでに全巻書写を終えて製本までしているので、これからあと最後の四十巻まで、毎週金曜日にUPする予定です。



巻三十五「くものふるまひ」:急逝した通房を惜しむ

 

寛徳元年(1044)4月~12月。
藤原頼通の病悩が明けつつあるころ、まだ二十歳の息子・藤原通房が病みつき、七日目に薨去した。麗景殿女御延子は懐妊、父藤原頼宗が通房のあと空白となっていた右大将の地位に。また、帝は腫物を患っていた。




頼通唯一の跡取りながら、あまりの若さで急逝してしまった通房。娘婿に迎えた源師房ら、残された人々の悲しみの歌を収めた場面です。巻名は、歌に詠まれている「ささがに」=蜘蛛を指します。蜘蛛は待ち人が訪れるしるしとされていました。

今回書いたのは、冒頭の北の方(師房女)、女房二首、比叡山座主、舅・師房、そして北の方の歌。原文はさらに歌が続き、北の方が延子へ贈った歌と返歌、北の方の母・尊子(道長と明子の娘)、女房の歌で閉じられます。唐突に出てくる延子は、父頼宗が尊子の実兄にあたる関係からです。

正妻の隆姫を慮り、通房以外の子は僧侶にするか他家に出していた頼通。溺愛の大事な後継者でしたから、その嘆きは並ではありません。懐妊もめでたい延子の父・頼宗が、空いた右大将の席に座り、頼通に挨拶に来ますが、それにつけてもまた嘆く頼通……
(個人的には、前の巻でこの地位を若い通房に先んじられていた頼宗ですから、ちょっと胸がすく思いもしなくもないのですが……意地悪ですかね?)

 

 

 

 

 

 

☆使用テキスト