◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行中です。

 

本日は、巻三十四をご紹介いたします。

 

先日ご紹介したように、すでに全巻書写を終えて製本までしているので、これからあと最後の四十巻まで、毎週金曜日にUPする予定です。



巻三十四「暮まつほし」:華やかな後朱雀天皇の後宮

 

長暦元年(1037)1月~寛徳元年(1044)。
中宮・藤原威子ひとりを守った後一条天皇とは打って変わって、弟の新帝(後朱雀天皇)の後宮は華やかであった。

まずは藤原頼通の保護下にある嫄子女王が入内。先に入内していた禎子内親王が、追って嫄子女王が立后し、それぞれ皇后・中宮として並ぶ。

皇后は後宮を離れ、二人の娘がそれぞれ斎宮・斎院となったため息子である二の宮・尊仁親王と暮らす。

やがて中宮は二人の内親王を残して崩御。

悲嘆に暮れる帝だが、すぐに教通女・藤原生子が、追って頼宗女・藤原延子が入内。皇后も尊仁親王の書始の儀を機に内裏へ参入。

一方、先帝の遺児である章子内親王は、東宮親仁親王のもとへ参入した。

その間も、内裏は火災を繰り返した。

 

 

後宮が華やかになり、登場人物が増えました(あらすじが長い!)。

藤原頼通の持ち駒であった嫄子女王(定子所生・敦康親王の遺児)が寵愛されましたが、亡くなってしまいました。頼通弟の教通や頼宗の娘が入内し、後宮は混戦模様です。一方の皇后・禎子内親王には、これまた頼通弟の藤原能信がバックについていることが描かれていました。

後一条時代の道長がいかに圧倒的であったかも、うかがい知れます。


今回書写したのは、教通女・生子(梅壺女御)と帝が四首の歌を交わす短い場面です。いずれも「青柳」を詠み込んでいます。最初の帝からの歌いかけに女御は、「青柳のいと乱れたる」と、多くの女性たちと情を交わす帝の思いが「一筋」でないと返しています。
生子は巻二十二にも登場した「御匣殿」、藤原公任の孫にあたる才女です!

 

 

 

 

 

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