◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行中です。

 

本日は、巻三十三をご紹介いたします。

 

先日ご紹介したように、すでに全巻書写を終えて製本までしているので、これからあと最後の四十巻まで、毎週金曜日にUPする予定です。



巻三十三「きるはわびしとなげく女房」:後一条天皇崩御

 

長元9年(1036)4月~同年12月。
前巻の末尾で倒れた後一条天皇の容体は戻らず、4月に崩御。

中宮・藤原威子の悲しみは深く、薬湯さえ口にしない。葬送も済み、斎院であった二人のあいだの娘・馨子内親王は退下。

折しも流行の裳瘡にかかった威子も、夫の後を追うように9月、出家ののち崩御。馨子と姉の章子内親王姉妹は、伯母で祖母の女院・藤原彰子に引き取られた。そんななか、長かった先帝時代を継ぐ弟帝(後朱雀天皇)の、久しぶりとなる御禊・大嘗会が行われた。

 



帝の崩御を嘆き悲しむ人々を描く巻です。内裏からの葬送を避けるため亡骸は土御門第(冒頭の「京極殿」)へ移され、母・彰子らも移ります。土御門第は彰子が初めての子である帝を産んだ場所。往時の道長の喜ぶさま、立派に育っていった亡き帝のことなど、数々の思い出が彰子の脳裏をめぐります。今回は、そんな短くもしみじみした場面を選びました。

 

中宮威子が後を追うかの如く病没したのも象徴的だと思いました。ふたりはおしどり夫婦でしたから……

 

というか、後一条天皇の後宮が威子に独占されていたことは、裏を返せばそれだけ父・道長の権勢が並びなきものであったということ。現に道長亡き後、威子の兄たちは自らの持ち駒である娘の入内を虎視眈々と狙っており、威子が悩まされる描写がありました(巻三十一)。結局華やかな後宮は、次代の後朱雀天皇の御代になり現実となっていきます。

先に入内した禎子内親王の存在感が急速に薄れている様子もうかがえました。彼女は威子の実姉・妍子のひとり娘(故・三条天皇の皇女)。妍子はすでに没していますが、生きていたところで、威子同様、いかほどの勢力を保てたことか……

 

 

 

 

 

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