◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行中です。

 

本日は、巻三十二をご紹介いたします。

 

先日ご紹介したように、すでに全巻書写を終えて製本までしているので、これからあと最後の四十巻まで、毎週金曜日にUPする予定です。



巻三十二「謌合」:頼通の高陽院歌合ほか和歌の贈答

 

長元6年(1035)11月~同9年4月。
源倫子七十の賀から始まる巻。倫子が養育する源憲定女の生んだ藤原頼通の男子・通房が元服し、春日祭の使に立つ。後一条天皇は譲位を考えており、鍾愛の章子内親王を東宮へ参入させる希望があった。ところが、内親王の裳着の準備が進むなか、帝は病に倒れてしまう。



次の巻への展開を含みつつ、この巻自体はタイトルの高陽院歌合など、和歌が多め。この歌合とは別の、和歌にまつわる小さな記事を選びました。短いので連続した二つの場面です。季節は3月末、藤の美しい盛り。

●まずは源倫子と娘の中宮・藤原威子による、藤の花に添えた贈答。歌いかける倫子の、現代とは異なる意識が明白な歌です。
  藤壺の花はことわり劣らじとみなもとさへも開けたるかな
「藤壺の花」は威子の藤壺の花を指すと同時に、藤原氏である威子自身の栄えも示しています。そのあとの「みなもと」は、倫子の出自を示しています。倫子の父は源雅信、源氏の自分のところでも劣らず藤が美しく咲いていますよ、ということです。みずからが藤原ではなく源氏であるという倫子の意識は、一生続くということが端的に表れています。
威子の返歌も、「みなもとににほひ劣れる末」と、源氏の母上に比べて劣る「末」の自分と詠み、謙遜を示しています。

●次の段落は、その威子の藤壺での藤の花の宴です。

琵琶や和琴の演奏に、大夫(藤原頼宗)と権大夫(藤原能信)が歌を合わせて遊んでいます。(いずれも源明子所生の道長の子息で、中宮にとっては異母兄にあたる)

頼宗は和歌の名手で、この巻の同年8月の記事にも、嵯峨野の花見の歌が載っています。
 

 

 

 

 

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