◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行中です。

 

本日は、巻二十一をご紹介いたします。



巻二十一「後くゐの大将」:感情渦巻く尊子の婿取り

 

治安3年(1023)12月~万寿元年(1024)3月。
年末に無事男子を出産した、藤原教通室(公任女)であったが、年明けに急変し、亡くなってしまう。「後くゐの大将」とは教通のことを指す。ほか、法成寺火災、明子腹の藤原道長女・尊子の婿取り、一条天皇第一皇女脩子内親王(母は定子)の出家。


 

今回は、尊子の婿取りの短い場面をセレクト。
前巻では同じ道長室の鷹司殿倫子の栄華を見せつけられましたが、高松殿明子腹の子は、明らかに倫子腹の子と差を付けられています。

(ちなみに倫子も明子も同様に源氏です)

 

それは男子の出世のちがいだけではありません。


倫子の女子が三后と東宮妃であるに対し、十三巻でみたように明子所生の寛子は“捨て皇子”といえる敦明親王(小一条院、三条天皇皇子で東宮位から実質上退けられた)に配されていました。

 

この巻では、尊子が具平親王の子に配されています。尊子は気に染まぬ様子であり、兄の頼宗・能信らも不満です。

 ※のちの源師房、室の弟である縁から藤原頼通の養子

 

しかし、道長の決定に異を唱えられるわけもなく……

 

 

 

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