◆◆◆くじょう みやび日録 第二期◆◆◆

 

第一期から断続的に楽しんでいる「女房気分de書写」。

現在は

『栄花物語』を読み、巻一から順にひとつずつ好きな場面を書写

という形で一人密かに進行中です。

 

本日は、巻十三をご紹介いたします。

 

 

巻十三「ゆふしで」:彰子が敦康親王即位を再び主張

 

寛仁元年(1017)4月から翌2年正月まで。
巻名は、藤原道雅が三条天皇の第一皇女・当子内親王へ贈った歌から。

三条院の崩御と、それにまつわる出来事が語られる巻。

 


「大宮」藤原彰子の、敦康親王即位への執着を表す場面を選びました。ライバルであったはずの藤原定子が生んだ、一条天皇の第一皇子です。自らの父・道長の勢力が押しのけた母子ということになりますが、子のなかった時期の彰子は、父の指図で敦康親王の養育を始めています。


 

彰子は、三条の子・敦明親王が退位して空いた後一条天皇(=彰子所生の第二皇子・敦成親王)の東宮を、敦康親王にと父へ推薦します。

 

唯一の後ろ盾である藤原隆家(亡き伊周の実弟)も大宰府へ下向している(前巻)として道長は断り、東宮となったのは、彰子自身の生んだ第三皇子・敦良親王でした。

 


 

一条天皇譲位の際も、自らの子を差し置いて敦康の立太子をを求めたと描かれる彰子。「美談」ということでしょう。

 

実際に彰子は、ここまで敦康親王にこだわったか?

 

――敦康親王が仮に即位したところで実家の力の差は歴然であり、東宮は自分の息子となったはず。

 

であれば、ありえない話ではないかもしれません。

 

 

この巻ほかには、小一条院となった敦明親王が道長家に婿入りし(明子所生の寛子)厚遇されることで、古妻の藤原延子とその父・顕光とが悲嘆に暮れるさまが繰り返し描かれていて印象的でした。

 

 

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