今日も熊本でのお話になります。
東京には昨日(1月10日)戻りましたが、熊本での話は今日の分と宗家講習のことがあります。
話の流れから、空手に関することは明日からのブログでと思っていますので、今日まで熊本でのことをテーマにした内容になります。
今回は熊本の親しい師範に会議や講習以外の時間にいろいろ連れて行っていただき、私の故郷ということはあっても知らないこと、新しい情報があり、とても新鮮な感じであり、また他県の方にも知っていただければということで今日も話を続けています。
今日はタイトルにもある熊本城のことですが、ご承知のように6年前の2016年、4月14日と16日の2度に渡り、震度7というとても大きな地震があり、大変な被害になりました。
熊本のシンボルである熊本城も石垣が崩れるなどの被害が出ており、その様子は地震のニュースでも全国に流れ、覚えていらっしゃる方も多いかと思います。
もう6年も経っているのだからもう修復されているのでは、と思われている方もいらっしゃもしれません。
たしかに、天守閣については何とか入場できるまでになっていますが、まだ崩れたままの石垣も多数あり、建物についても壁が崩れたり屋根の形が変形したまま、というところも多数ありました。地震は風化していない、というのが今回の印象でした。
今日はその様子を写真と共にお話ししていきます。
日本3大名城の一つに数えられる熊本城の天守閣です。
被災後はとても無残な姿だったことを当時の写真で見た記憶がありますが、今回は上の写真の通り、パッと見にはその面影はありません。
ただ、この写真を撮った位置やアングルについてはよく覚えている場所からのものではなく、修復中の現在、この時点で撮影できる場所からのものです。
だからこそ、よくここまで修復できた、といった思いでしたが、場内の至るところが立ち入り禁止になっており、昔、ここで学校の写生大会で訪れた時に描いたところに行くことはできませんでした。
地震前にはどこでも行けたのに、未だに地震の爪痕があることがとても残念です。
今回、天守閣の中にも入ることができ、展示物も各フロアにありました。
上の写真は昔の熊本城の近辺の様子を現した模型ですが、お城を中心に整然とした街並みが広がっています。
これは昔の様子であり、地震前ということでありませんが、古の時代にふとタイムスリップしたような感じです。
その展示物の中には、6年前の大地震以外に熊本地震と呼ばれる大きな地震があった時の記録が残されていました。
以前そのことについては聞いたことがあるかもしれませんが、訪れるまですっかりその話が抜け落ちており、とても新鮮な感じがしたのと同時に、そこからきちんと再整備されたわけですから、時間を要しても再び従来の勇壮な熊本城が復活できるものと信じています。
ここからがまだ修復されていない熊本城のことになりますが、この写真は6年前のものではありません。2022年1月10日の様子です。
熊本城に訪れた時間のこともありますが、閉園間際でしたのであちこち見ることはできませんでしたが、それでも上の写真のようにおそらく地震直後のままの箇所が残っているのです。
天守閣から離れていることもあるのでしょうが、こういう場所があちこちに存在しているわけです。
今度は足元の石垣が崩れ、かろうじて立っている感じの櫓の様子です。
熊本地震の報道の際、1本足で立っている建物の写真を見たことがありますが、もしかするとここかもしれません。
ご覧のように土台が崩れていますので、再び大きな外力が加われば本当に倒壊してしまいそうな感じですが、早く修復されることを願います。
熊本城を訪れた後、隣にある加藤神社に行きました。
熊本城を築城し、他の城にも多数関与した加藤清正をまつる神社ですが、清正公は土木事業について名を馳せました。
この熊本城の地震による被害に関しても、加藤清正が作ったとされる石垣の倒壊はなかったそうで、いまさらながらその技術水準には驚かされる内容になっています。
上の写真はその加藤神社の入り口にある看板ですが、「しわき人」という言葉とその意味について記されています。
熊本出身といっても知らないことが多いということを改めて思い知らされましたが、示されている内容についてはとても納得できることであり、こういう言葉を知らされたことについて、何らかの啓示のような感じがしています。
たからこそ、改めてこの言葉を噛み締め、生活していければと思っています。
最後に加藤神社の本殿の写真をアップします。
今年、私は初詣をしていません。コロナを警戒してのことですが、そういう意味からは今回が初詣になります。
いつものように破魔矢などの購入はしませんでしたが、今年の活躍を誓いました。
今回の熊本訪問は空手道の活動の一環であり、会議が最大の目的でしたが、盟友の先生方から温かいおもてなしをいただき、とても感謝しております。
そういう仲間たちと共に、改めて千唐流の発展のために微力ではありますが、力を尽くさせていただきたいと心に誓いました。