火曜日の稽古ですが、出席者が少なかったため、通常の稽古ではなく、「形(かた)」の研究会のような感じになりました。
これは主に「形」の解釈に関係することですが、このブログでもよくお話ししているように、この点をきちんと理解していなければ魂が入らず、稽古も形骸化してしまいます。その場合、試合で良い得点を取るために見かけ上のメリハリをつけたり、演出を意識したりします。
しかし、こういうことは武術としての本質とは関係なく、稽古は使える「形」を意識したものでなくてはなりません。
何度もお話ししているように、「形」の意義は武技の伝承と武術体作りです。この目的を叶えるために稽古をするわけですが、そこには「形」に出てくる動作についての深い理解が必要になります。
それを習得するために分解・解説の稽古をするわけですが、大抵そういう場合は教わった範囲内でしか行なわれません。
そこで考えなければならないのが、その動作の解釈は本当にそれだけだろうか、ということです。
千変万化する実戦の場では、常に相手がいるわけであり、互いに勝利するために必死に戦います。となれば、想定外の変化も考えられ、それに対応する技、あるいは自らそういう変化を意識した技、というケースも生じるでしょう。
つまり、実戦の場というのは常に流動的であり、ある動作を固定的に考えるのではなく、場に応じて流動的に考えることもあり得るわけです。
以前のブログでお話したことがあるように記憶していますが、金城裕という先生の著書に、沖縄から本土に空手を伝えた先生たちの暗黙の了解として「形は教えても手は教えない」ということがあったと記されています。
空手以外の武術でも、その技の本当の使い方については弟子に教えていなかった、あるいはごく一部の信頼できる人だけでに伝えていた、という話を耳にしたことがありますが、場合によっては寝首をかかれる可能性があった時代の自己防衛手段と考えられます。
千唐流の初代にしても、「自分で考えなさい」とか、「教えても分からないところがあるから」と言って、その使い方については詳細を語られなかったところがありました。
ただ、昔の先生ですから、その人の個性を見抜き、個別に特定の技については伝えていた、ということはあります。
これも以前ブログに書いたことですが、私の盟友の田中先生が東京で行なわれた逮捕術のセミナーの時に披露された技は、塩貝先生から教わったものということですが、初代からはこの種の技をしっかり伝授されていました。
そのため、この分野については千唐流でも右に出る先生はおらず、初代のDNAが受け継がれているわけです。弟子と言っても最初は他人ですから、全伝を伝える、というのはなかなか難しいことでしょうが、修行の課程でこれはと見込んだ門下生に対しては、その個性を前提とした技の伝承が行なわれていたのでしょう。
初代は私に対し、「考えなさい」ということをよくおっしゃっていました。それか私の空手道研究のベースになっているわけですが、それは稽古の時も意識しており、「形」の場合にも活きています。
この日の稽古はその具体例になりますが、出席した道場生からの質問がきっかけで、これまであまり話していなかったところについて深く突っ込んでみよう、ということになったのです。
最初は「鎮東(ちんとう)」からでしたが、その話は「正整(せいさん)」や「龍山(りゅうしゃん)」まで広がりました。話だけでなく実際に身体を動かし、そこでも細かく説明したりしましたので、思った以上に時間がかかりましたが、結構充実した内容になりました。
今日は「鎮東」のところでお話ししたことの一部をお話ししましょう。
上のイラストは「鎮東」の最初のほうに出てくる動作ですが、ご覧のように両「手刀(しゅとう)」を円を描きながら下方に落とすように動かしています。
「手刀打ち(しゅとううち)」のようにも見えますが、第一義的な解釈では「受け」としての性質を有します。
特に左側の最初の動作は他の解釈でもそのような意識で行なうことが大切で、円を描いて行なうところにも留意しなければなりません。
そしてその場合、上肢の重さの活用も武技の質に加える意識が必要で、そこに変な力みが生じないように注意しなければなりません。
もっとも、「形」としての稽古では力みも生じにくいかもしれませんが、ペアを組んで分解・解説の稽古になった時に生じる可能性が出てきます。
重さを意識するということは、受けた時に相手の姿勢の崩れの誘発を期待するからですが、この点を力で行なおうとすると、力んでしまう可能性が出てくるのです。ここは脱力の活用から自然な重さを活用できるようにすることが大切で、「形」はそのためのイメージトレーニングとして位置づけで稽古することも必要になります。
ではここでこの動作の解釈例ですが、その一つは上のイラストのように、両「手刀」の動作を合わせて「手刀交叉受け(しゅとうこうさうけ)」として活用する場合があります。相手からの「中段突き(ちゅうだんづき)」に対して両「手刀」を交叉させて受け、そこから相手の上肢を跳ね上げるようにしてそこに生じた隙に対して「突き」で反撃する、というものです。
この時、両「手刀」は円を描くような感じで受けることになりますが、実際にその意識で用いようとすれば「形」のような大きな動作では間に合いません。円を描く動作にしても、もっと小さめに動かさなくてはなりませんが、力まずにその動作を行なうという身体操作の感覚を養うため、「形」のような動作で行なう、と考えることができます。
基本と実戦の違いを説明する時、大きく作って小さく使う、ということをお話ししますが、最初から実戦で使うようなコンパクトな動作をしようとしても、その時に必要な身体の使い方はできません。ですから、最初は多少デフォルメして大きな動作でと身体操作のイメージを作り、それを実際に使う時にコンパクトにまとめて隙を作らないようにして使う、というわけです。
そしてこの場合、「形」では後から動かしている右側の動作は、実際に用いる時はその円の動きの延長を意識し、その勢いで相手の上肢を跳ね上げるようにすることで、一連の動作を淀みなく行なうことができます。
さて、それでは右側の大きな動作には他に活用の方法はないのかと考えた時、その動作に全く異なった用法が見えてきます。
あいにくその説明のための画像が無いので文章だけの説明になってしまいますが、「鎮東」を終始斜め方向で行なう流派もあります。
千唐流の場合、他の「形」同様、最初の動作は正面方向で行ないますが、似たような動作になる「抜塞(ばっさい)」の場合とは身体の方向を違えます。
そこから想定している展開の違いを伺うことができますが、その一例としてこの時の最初の「手刀」の動き(左側)は、相手からの「突き」に対して斜めに転身して対応し、体捌きも兼ねた動作になっていると解釈します。
その上で右側の動きの解釈ですが、最初の「受け」で生じたわずかな崩れに乗じて相手の身体に密着させる意識で右足を進め、相手の右脇の下に自分の右の上肢を素早く滑り込ませます。この時、やや身体を沈めます。
自身の肩に相手の脇の下を乗せるような感じにし、膝の伸ばしと共に右上肢を「形」のような感じで動かし、同時に体幹部を捻り、「投げ」を行ないます。最後の極めは「突き」でも「蹴り」でもよく、その時の状況で選択することになります。
この他にも、両「手刀」の交差部分からの展開についても説明・稽古を行ないましたが、このように最初の動作の部分の変化だけでも複数の技が見えてきます。
こういう発想と同時に、実際にその動きを行ない、自身の感覚で納得いくものになるかどうかを確認することが大切で、もしそうであれば自分の技として定着させることが可能になります。
「形」の研究はこういうところが面白いわけで、今後も上級者のみの場合には行ないたいと思います。
稽古はこの後も続きましたが、機会があれば可能な範囲でご紹介したいと思います。
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