東向島~押上散歩 11月18日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第180回 東向島~押上散歩」の初回の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は東向島駅から。

 

まずは、白鬚神社へ。

 

 

白鬚神社は、墨田区東向島3丁目に鎮座する、主祭神に猿田彦大神、他六柱を祀る神社で、隅田川七福神の寿老神です。

由緒は、天暦5年(951)に慈恵大師(比叡山延暦寺中興の祖)が近江国比良山麓に鎮座する白鬚大明神の御分霊をこの地に祀ったのが始まりといい、この辺り(旧寺島村)の氏神としてばかりでなく、商売繁盛、方災除け、厄除けの神として多くの人々の崇敬を集め、今日に至っています。

 

白鬚神社の次は、ブレーキ博物館へ。

 

 

ブレーキ博物館は、墨田区堤通1丁目に所在する、中山ライニング工業株式会社の隅田営業所内にあるブレーキに特化した博物館。

体験型の博物館を目指しており、ブレーキの仕組みや種類、歴史など、ブレーキに関する様々なことが学べます。

また「自動車体験コーナー」「ブレーキ展示コーナー」「匠の技コーナー」「新幹線やオートバイのブレーキ」といった4つのみどころがあります。

 

ブレーキ博物館の次は、子育地蔵堂へ。

 

 

子育地蔵堂は、墨田区東向島3丁目にある地蔵堂。

この御堂に祀られている地蔵菩薩は、文化年間(1804~1818)に行われた隅田川の堤防修築工事の際に土中から発見されたといい、地蔵はある日、この地に古くから住む植木屋·平作に雇われていた夫婦が殺される事件が起きたとき、はじめすぐに犯人はわからなかったのですが、この地蔵が村の子供の口を借りて犯人の名を告げたという出来事があり、そこで平作はこの地に地蔵を安置して供養するようになりました。

その後、天保3年(1832)4月に11代将軍·徳川家斉が鷹狩に来て、平作宅にて休憩した際、この地蔵の由来を聞いて参拝しました。

そして、平作がこのことを記念して御堂を建てて地蔵を安置すると人々がこぞって参詣。

出産・眼病その他諸病の平癒、開運を祈ると霊験が現れたそうで、当時は平作地蔵あるいは塩地蔵、また子育地蔵と様々な名前で呼ばれました。

 

子育地蔵堂の次は、一回目のおやつ・お土産購入タイム。

 

 

まずは、「吉備子屋」のきびだんご。

こちらは、きな粉たっぷりのきびだんご5本入りが350円。

サイズがミニなので、5本入りでもぺろりと食べられます。

 

続いて、吉備子屋のすぐそばにある「志”満ん草餅(じまんくさもち)」へ。

 

 

こちらは草餅が有名な老舗和菓子店。

草餅の他、どら焼きも人気があり、私はどちらも食べましたが、素材にこだわった上品な味が口いっぱいに広がりました。

 

一回目のおやつ・お土産購入タイムの次は、向島百花園へ。

 

 

向島百花園は、墨田区東向島3丁目にある、面積10,885.88㎡の都立庭園。

歴史は、江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830)、骨董商を営んでいた佐原鞠塢が交友のあった江戸の文人墨客の協力を得て、当園を創設。

開園当初は多くの梅が植えられ、その後、詩経や万葉集など中国・日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲く草の庭となりました。

また百花園とは、一説では「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたとされます。

そして、昭和13年(1938)、東京市に寄付され、翌昭和14年(1939)7月8日に有料公開を開始。

昭和20年(1945)の空襲では甚大な被害を受けましたが、昭和24年(1949)に復旧。

その後、昭和53年(1978)10月、文化財保護法により、国の名勝及び史跡の指定を受けました。

園内には、東側に南北に長い池があり、園路沿いにはいくつもの句碑が建てられ、四季の花が植えられています。

中でも萩のトンネルは百花園の見所の一つであり、他にも隅田川七福神の福禄寿尊が祀られています。

 

 

初回は園内を散策し終わった後ところで記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

向島百花園の次は、二回目のお土産購入タイム。

 

 

案内したお店は「いちや」。

こちらは大福とどら焼きが有名な和菓子店。

種類も豊富で、皆さんそれぞれ迷いながら人気の和菓子を購入されていました。

 

いちやでお土産を買ったあとは、高木神社へ。

 

 

高木神社は、墨田区押上2丁目に鎮座する、高皇産靈神を御祭神として祀る神社。

由緒は、応仁2年(1468)の創祀と伝えられており、旧寺島村新田の鎮守として尊崇され、古くは「第六天社」と呼ばれていました。

そして、明治時代初期の神仏分離の制度で『高木神社』と改称。

社名は、御祭神である高皇産靈神の別名が「高木の神」であるからといわれています。

またかつては、境内に大きな臥龍の松があり、曳舟川を上下する舟をはじめ、地域の人々の往来の目印となっていました。

社殿は、昭和42年(1967)1月に鉄筋コンクリート造の改築が成り、昭和43年(1968)11月、鎮座500年の式年大祭が、平成30年(2018)6月には、御鎮座550年記念式年大祭を実施。

令和5年(2023)には御鎮座555年を迎えました。

 

至る所、おむすびだらけの高木神社の次は、飛木稲荷神社へ。

 

 

飛木稲荷神社は、墨田区押上2丁目に鎮座する、宇迦神霊命を御祭神として祀る神社。

由緒は、定かではありませんが、ある暴風雨の時にイチョウの枝が飛んできてこの地に刺さり、いつの間にか高くまっすぐそびえたので、当時の人が吉兆であるとして稲荷神社を祀ったといわれます。

また別の言い伝えによると鎌倉幕府の滅亡後、北条氏の一門が逃れてこの地に転住し、稲荷大明神を奉祀したことに始まるとされています。

言い伝えに残る飛木稲荷の大イチョウは樹齢500〜600年といわれており、区内には江戸時代から残るイチョウは4本しかなく、その中でも最古のものだといわれ、戦災では一部を焼失し、樹勢が衰えた時期もありましたが、再び繁茂して現在も悠久の生命を伝えています。

 

飛木稲荷神社の次は、圓通寺へ。

 

 

圓通寺は、墨田区押上2丁目にある、飛木山普門院という、阿弥陀如来を本尊として安置する天台宗の寺院。

良秀法印を開山として、応仁元年(1467)に創建されたといい、また境内に立つ明暦二年(1656)二月吉日銘の地蔵菩薩立像(区登録文化財)は左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、錫杖の一部に損傷はあるものの、ほぼ原形の姿を保持。

尊像の顔かたちは童顔で、造形的に引き締まっている江戸時代初期の佳作にふさわしく、区内で確認されている近世石仏の最古の例として、非常に貴重なものです。

 

圓通寺の次は、千葉工業大学 東京スカイツリータウン®キャンパスへ。

 

 

途中、展望が素晴らしい押上駅前自転車駐車場屋上広場から東京スカイツリーをチェック。

 

 

千葉工業大学 東京スカイツリータウン®キャンパスは、墨田区押上1丁目、東京スカイツリータウン 東京ソラマチ8階にある、千葉工業大学の研究活動を通じて生まれた最先端の科学技術を応用した体感型アトラクションゾーン。

ブースは2か所に分かれており、AreaⅠは、ロボット技術・人工知能を紹介するゾーン。

AreaⅡは、惑星探査研究の成果を応用した数々のアトラクションの他、小惑星探査機「はやぶさ2」の実物大模型や実物大マクロスF「バルキリー  VF-25F」が展示されています。

 

こんなふうにあちこち巡って、押上駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと「魚民 押上駅前店」で懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、またの機会にどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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